夕焼け




――江戸川、文代さん






「――え…?」
コナンは数秒間、本気で、それは誰だろう? と考えた。
「え…」
理解すると同時に、パカリと口が開く。
「え、それって……」
言ったきり、言葉を継げないコナンの驚きように、蘭はさすがに苦笑した。
そして、呆然と蘭を見るコナンに、コクリと頷く。
「そう、コナンくんのお母さんよ」
「って、えええぇぇっ!?」
コナンは心の底から驚いて、心の底から思いっきり叫んだ。
「なっなっ…なんで!?」
やっとのことでそう尋ねると、蘭はクスクスと笑いながら、
「なんでって、どうして?」
と、逆に尋ね返した。
どうして、手紙が来ることが不思議なの? ――と。
それはつまり、手紙が来ることが不思議ではない状況であると、蘭が知ってしまっているということ。
「……」
思わず黙り込んだコナンに、蘭は、しょうがないなぁと言いたげに、まさにコナンの年齢の少年に対して母親や姉が向けるような笑みを零した。
「帰るのね、コナンくん」
尋ねるような口調だが、既に確認に過ぎない声音で、蘭に言われて、コナンはしばらく逡巡したあとで、頷いた。
「1学期が終わったら?」
「…うん」
視線は自然と自分の手元に落ちた。
上げられないのは、…蘭を見返せないのは、無意識ではない。
嘘を吐き続けて、嘘のままで姿を消してしまうことが、後ろめたいからだ。
あんなに助けられたのに。
いつだって本当の家族のように、優しさを向けてもらってきたのに。
「……お母さんのところに行くの?」
続けられた問いかけに、ぐるぐると思考が巡っていたコナンは、咄嗟に『そうだ』と嘘が吐けず、返事に詰まった。
――そうじゃ、ない。
だが、正直に違うと言えば、次に続けられるだろう、『ではどこへ?』という問いかけに、コナンは答えられない。
返す言葉が見つからず、コナンは他に手段がなくて、黙り込んだ。
だが、コナンを困らせる蘭の言葉は、これだけでは収まらなかった。
蘭は、さらに続けたのだ。


「……それとも、コナンくんが前にいた場所?」

――と。


(前に、オレがいた…? って、おいおいまさか…!)
コナンはぎょっとして、伏せていた顔を勢いよく上げていた。
蘭には、それが確かな答えになる。
コナンを見つめていた蘭は、コナンと目が合うと、穏やかに微笑んだまま、
「――そっか」
と、つぶやくように頷いた。



コナンは、今度こそ本当に言葉をなくした。
蘭は、コナンがどこに戻るかを知っているのだ。
そうと言われたわけではなくても、それは確信だった。
江戸川文代というコナンの母のいる場所以外に、コナンに帰る場所があることを知っている。
(ど…ういう、ことだ…?)
どうして、蘭が知っている?
コナンは蘭から目が離せないまま、脳だけをフル回転させた。
蘭は知っている。
江戸川コナンが、工藤新一なのだと。
(母さんが…言うわけねーよな。蘭が自分で…? にしちゃ、やけに確信的だし。でもそれ以外に…)
コナンには、こんなことで横槍を入れる人物になど、一人も心当たりがない。
なぜなら、それはコナンが自分の口で告げるべきことで、周りの人々もそれをわかっているのだから。
(ずっと、知ってたのか…?)
ないとは言えない。
蘭は何度も、コナンの正体に気づきかけた。
今回だって、うっすらと気づかれているのではと思ったこともあった。
だが、蘭はコナンに問いただすようなことはしなかったし、コナンに対する態度も、何も変わらなかった。
コナンは、気づかれているという確信を持てないままに通り過ぎ、いつの間にか日常に紛れてしまっていた。
呆然としているコナンを見ている蘭は、蘭を見ていながら蘭を通り過ぎて考え込んでいるコナンを、ただ黙って、穏やかな視線で見つめていた。
まだ青い空を背に、暖かな色の日差しに彩られて。
思考に入り込んでいるコナンは、自分を見つめる蘭の様子にも気づけない。
(知ってて黙ってたのは、なんでだ…?)
わからないことだらけだ。
事件絡みだと知っていたから?
蘭はどこまで知っている?
(いや、それより…なんで今まで黙ってたことを、今言うんだ…?)
自問しながら、コナンはその答えに気づいていた。
――もう黙っている必要がないということも、蘭は知っているから、だ。
硬直していたコナンは、ようやく呼吸を取り戻した。
ため息とも言えないほどに緩く、長く、息を吐く。
全身から力が抜けていく。
(確かに、蘭が考えたとおりだよな)
もう、コナンに偽らなければならない理由はない。
余計な力がすこんと抜けてしまったコナンは、一度瞬いて、改めて蘭を見た。
蘭は、ふわりと微笑む。
何も言っていないのに、その微笑だけで、蘭は何もかも許していると伝わる。
それは、コナンをとても困らせた。
怒られる覚悟も、――泣かせたくはないけれども、泣かせてしまう覚悟も持っていたけれど、そんな微笑みを向けられるなど、考えたこともなかった。
コナンが困っているのをみて、蘭はクスリと笑う。
その屈託のない笑顔が、またコナンを困らせる。
(蘭、オメー……)
息が苦しくなるほどの感情が、後から後から込み上げてくる。
かろうじてそれを塞き止めているのは、それでもまだ、コナンはコナンである、という事実だ。
工藤新一であって、工藤新一ではないという事実。
「…蘭、……ねぇちゃん」
呼び方さえ迷ったコナンに、蘭はやはりいつも通りに、
「なぁに、コナンくん?」
と返した。









なんだかどんどん、話が勝手に…(汗)。
そろそろ終わるはずなのに…!
というか、今回終わるはずだったのに……orz


2009.8.2 文月 優
BACK  MENU  NEXT