夕焼け
今日一番の大仕事を終えて、コナンが住居になっている3階に戻ると、キッチンにいると思っていた蘭は、リビングの窓際にいた。
一瞬、ドキリとして足を止めかける。
蘭はペタリと床に座り、肩で窓枠にもたれて外を見ていたから。
寂しそうな顔をしているのではないかと思った。
蘭の表情が見たくても、コナンのいる位置からでは、窓から差し込む西日で陰になってよく見えない。
そういえばそんな時間だったと、頭の片隅で考えた。
部屋の明かりはついていない。
長く伸びたオレンジ色の光は、コナンの足元まで届いていた。
「…蘭、ねぇちゃん…?」
恐る恐る声を掛けてみる。
玄関の前で立ち止まっていた足は少し重かったが、蘭の顔を見るために、もう一度動かしてリビングに向かった。
すると、蘭は少し驚いたようにコナンを振り返る。
その表情に、コナンが懸念したような影はなく、緩くほどけるように微笑んだ。
「もう書いたの?」
「あ、うん。もうって…結構時間経ってると思うけど?」
「あれ?」
蘭は初めて気がついたように時計に目を向けた。
「あ! 本当ね。コナンくん、お腹空いちゃった?」
窓から差し込む日差しは、傾いて、色づき始めている。
慌てて窓辺から身を起こした蘭に、近づいたコナンは首を振る。
テーブルの横に座ると、蘭は少し考えて、再び先ほどと同じ体勢に落ち着いた。
これだけ近くに来れば、コナンからも蘭の顔が見える。
いつもより少し陰影の濃い横顔は、優しい光を纏ってきれいだった。
思わず、目を細めて見蕩れる。
蘭に暗い空気はなかったが、だからといって、いつも通りとも少し違う気がした。
先ほどまでの楽しそうな様子とも違う。
丁度これからの時間の、薄く青い闇に溶けていく陽光のように、蘭も空気に溶けて消えてしまいそうだった。
コナンには、どうしてかさっぱりわからない。
だから、率直に尋ねた。
「蘭ねぇちゃん、今日はどうしたの?」
――と。
すると、蘭は予想もしなかった言葉を言われたというように、目を丸くしてコナンを見た。
「どうって…」
「変だよ? 悪い意味じゃないけど、でも…いつもと違う」
そう、悪い意味ではない。
朝からずっと考えていた。
何度蘭の様子を思い返しても、マイナスの要素はほとんど感じられなかった。
それでも、何かが違う。
ゆるやかに穏やかに、蘭の存在そのものが、ゆりかごに揺られているかのように優しく、深い安堵の中にあるように思う。
(あ……)
コナンは唐突に気づいた。
(…わかった。緊張とか気負いが全然ねーのか…)
今の蘭には、安心しきった無防備な空気が漂っている。
気づくと同時に、コナンからも張り詰めていた何かが抜け落ちた。
(そっか…なら、とりあえず心配するこたねーか…)
「…何かあったの?」
蘭に尋ねる声が、自然と柔らかなものになる。
もちろん、コナンに自分の声が変わっている自覚などない。
ただ、蘭は一瞬だけ目を見開き、それをゆっくりと細めた
「…すごいね、コナンくん。どうしてわかるの?」
尋ねられて、コナンは、やっぱり…と思った。
だが、どうしてわかるの? という問いかけには、
「なんとなく…」
としか答えられない。
それに、蘭はクスリと、どこか楽しそうに笑った。
「うん」
頷いて、じっとコナンを見つめる。
コナンは蘭の意図がつかめず、困惑して見返すしかできない。
そうしてコナンの視線を受け止めて、蘭はふわりと微笑んだ。
「あのね、手紙が来たの」
「え…?」
自分で尋ねておいて、それが「何かあったの?」という問いかけに対する答えだと、一瞬わからなかった。
「誰、から…?」
戸惑いながら向けた次の問いに、蘭はゆっくりと答えた。
「――江戸川、文代さん」
2009.8.1 文月 優