出逢えたから
<file16>
優作たちが病室を出て行ったとたんに、いきなり静まり返った空間。
居心地の悪さに、新一の視線は定まらない。
・・・と、その視界の影で、小五郎が寄りかかっていた壁から身を起こした。
新一の横たわるベッドの脇まで歩いてくる。
カツン・・・と、その靴音の最後の音が妙に響いた。
「あの・・・」
新一が、自分から何か言わなくては、と開いた口は、繋げる言葉を見出せないままに閉じる。
「てめーがコナンだったって?」
前振りなくかけられた言葉に、思った以上にびびっている自分を感じる。
けれども、
「・・・はい。」
ひと言、肯定の返事を口にしたら、不思議なほどに落ち着いた。
代わりに、今はきちんと小五郎と向き合わなければならないということを自覚する。
逃げるようなことでも、尻込みするようなことでもない。
その気持ちに従おうと、新一はゆっくりと上体を起こした。
「起きなくていいぞ。」
「いえ・・。」
ぶっきらぼうにかけられた言葉を断りながらも、安心した。
小五郎は怒ってはいない。
コナンを心配してくれたように、新一のことも心配しているのがわかった。
それに力を得て、新一は脇腹を押さえ、枕を背にあてて、壁にもたれた。
体制を整え、一息つくと、再び小五郎が口を開いた。
「聞いてやる。話せ。」
「・・・はい。」
新一は、何から話せばいいのかとしばし逡巡したあと、ゆっくりと話し出した。
推理するときとはまるで別人のような、ゆるく穏やかな、どこか戸惑いのある口調で。
おそらく、一通りの説明は蘭や優作から聞いているのだろうけれど、新一は全てを細かく説明していく。
コナンになったきっかけや、どうして毛利探偵事務所に転がり込んだのか。
時間を追って、ひとつひとつ。組織とどう関わっていったのか。どう潰したのか。
・・・すると、そろそろ話が終わろうかというとき、小五郎がその話を遮った。
「事実なら、他のヤツからだって聞ける。事実以外の話が聞けなけりゃ、てめーから話聞く意味がねーんだよ。」
「・・・。」
事実以外の話・・・。
それは新一が何を思っていたのか、ということだろうか。
例えば・・・蘭のことについて。
「・・・組織から蘭を守るためには、蘭から離れた方がいいということはわかっていました。」
「なら、なぜ離れなかったんだ?」
新一の言葉に、静かに返される問い。
なんて答えればいいのだろうか。
どれが、オレの真実の心だろう。
真っ白なシーツに視線を落とし、そこには見えないものをじっと見つめる。
心に甦ってくるのは、昨日、銃口を向けられた蘭。
蘭が狙われるのは、組織にだけじゃない。
事件現場だけでもない。
組織は新一が蘭に関わらなければ、蘭を狙わないけれど、それ以外の奴らは新一が居ようが居まいが蘭を狙うだろう。新一に対する恨みのために。
蘭を、誰からも、何からも守りたかった。新一自身で。
日常生活のささやかな悩みも、そばにいて見守っていたかった。
そして、工藤新一がいない寂しさが、ほんの少しでも、自分がいることで紛れてくれるなら・・・・・・離れることなんてできなかった。
だけど・・・と、新一は考える。
それらはみんな、紛れもない新一の本心だけれど。
・・・違う。そうじゃない。
もしも誰かが、蘭を守っていてくれたとしても。
もしも、そいつがいつも蘭を見守っていて、新一が居ない寂しさから蘭を助けてくれたとしても。
それでも新一は、きっと蘭から離れなかった。
組織に正体がばれる危険が高まり、これ以上はどうしてもだめだというギリギリまで・・・きっと、そばに居た。
それは、新一が、蘭から離れたくなかったから。
新一が、蘭のそばにいて、蘭を見守って・・・同じ時間を過ごしたかったから。
他の誰かではない、新一自身で、蘭を守りたかったから。
新一は、ゆっくりと視線を上げると、どこか神聖は気持ちで、心のままに、小五郎を見つめる。
自己満足かもしれないし、責められるかもしれないけれど。
新一が持っている、そのままの想いを伝えたかった。
でも、それに言葉はふさわしくない気がして。
言葉なんかじゃ伝えられないから。
新一は、ただまっすぐに、揺らぐことのない静かな視線で、小五郎を見つめた。
どれほどそうしていたのか、わからない。
時間が止まったようなその空間で、小五郎と新一の間には、確かに何かが行き交った。
無愛想な表情のままに新一を見返していた小五郎が、ふっとその表情を崩す。
苦笑いのようにも、憮然としているようにも見える、複雑な表情で口を開いた。
「おまえがコナンじゃなかったら・・・」
そこまで言って区切られた言葉に、新一の表情が無防備なものに変化し、その目が不安げに小五郎に問い掛ける。
それを見ていた小五郎は、くやしそうな、うれしそうな顔で、続けた。
「もし、おまえがコナンじゃなかったら、オレはずっと、蘭をおまえにやることに納得できなかっただろうな。」
「え・・・。」
(それ・・・)
目を丸くする新一に、小五郎は無愛想な表情に戻ると、ふんっと鼻を鳴らす。
コナンがどれほど必死に蘭を守ろうとしていたか、いや、守っていたのか・・・小五郎は見てきてしまったから。
泣いている蘭を見るコナンの目の切なさも、喜ぶ蘭を見るその目のやさしさも、知ってしまっていたから。
認めたくなくても、わかってしまった。
新一の瞳が語った、その心のたったひとつの真実が。
「ほんとに欲しくなったら、言いに来い。」
視線を逸らし、そっけなく言い捨てる。
「おっちゃん・・・。」
思わず零れた新一の声に、小五郎は呆れた顔を見せた。
「てめー、ほんとはいつもそう呼んでんだな?」
「あ・・・。」
「ったく、とんでもねぇヤローだな。」
「あ、あはは・・・」
とりあえず、ごまかし笑いを浮かべて頭に手を回した新一に、小五郎が呟いた。
「確かに、コナンと同じ仕草だな・・・」
「え?」
聞き返した新一の声を無視して、小五郎は新一のベッドから離れる。
ドアへと歩きかけて、その足を止めた。
「留学、蘭もするつもりらしいな。」
振り返り、新一を見つめた目は真剣で、それを見て新一の表情からも笑みが消える。
「蘭は、おまえが絶対守れよ、新一。」
「・・・・・・はい。必ず守ります。」
静かに答えた新一を見て、満足したように、小五郎は歩き出す。
ドア口でもう一度だけ新一を振り返り、にやっと笑った。
「どうせなら、さっきの目で蘭を見つめてやれ。そうすりゃもう泣かすこともねーだろ。」
カッと、新一が真っ赤になる。
それを視界の端に捉え、小五郎はおもしろそうに笑った。
ドアを開け、そのまま出ていこうとした小五郎に、新一は赤い顔のまま、慌てて声をかけた。
「おっちゃん!英理さん、蘭の留学が決まったら帰ってくるつもりでいるって!」
一瞬だけ、閉まりかけた扉がその動きを止める。
「余計なお世話だ、バーロォ・・・」
パタン・・・と、閉まった扉の音が耳に残る。
一人になった病室で、くっくっと、新一が笑う。
(おっちゃん、おばさんが戻ってくる前に、自分で呼びに行くよな・・・?)
心に浮かんだ問いの答えは、たぶん、わかりきっているはずだった。
おっちゃんが・・・三枚目じゃなくなってる(笑)。
最終回が・・・近い?かな。
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