出逢えたから

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一気にざわめきの広がる体育館内で、名を指された本人だけが落ち着き払っている。
まるで、初めからそう言われることがわかっていて、犯罪を犯したのだと胸を張らんばかりに・・・。
秋田先生が、ゆっくりと微笑んだ。
「聞かせてもらうよ、工藤くん。」
その微笑を正面から見返して、新一はわずかな笑みも浮かべずに目を鋭くした。
「もちろん、お話しますよ、秋田先生。」
2人の間に漂う緊張感に、目暮警部も口を挟めない。
その警部に視線を流して、新一は説明する言葉に心なしか力を込めた。
「仕掛けは今説明した通りです。・・・ああ、フェイクのほうの仕掛けが通った窓枠には、テグスの跡の上から傷がついていますから、それもその仕掛けが使われたのではない証明になるでしょう。テグスをあらかじめ切っておいたせいで、あとから窓を開閉したときに上からついてしまったんでしょうね。」
説明しながら、新一はゆっくりと、本当の仕掛けのされていた窓まで移動する。
「こちらの鉄柵に結ばれたテグスを切ったのは、ハサミです。」
そのまま屈みこむと、窓の鉄柵の前に置かれていたバスケ部の救急箱を開けた。
ハンカチを取り出して、直接触らないようにハサミを持ち、警部に見えるように差し上げた。
テーピングを切るのに使っていたために、切り口がべたついたそれには、しっかりとテグスの跡が残ったまま。
警部が、あからさまに残されたその形跡に唖然とする。
「・・・見れば、わかりますよね。これが使われたことは。」
「・・・」
黙ったままうなずいた警部を確認して、新一は立ち上がり、ハサミを鑑識に渡した。
「この救急箱、いつもはここに置いていないそうですね。」
そう言って目を向けたのは、バスケ部のマネージャーである女性徒の方。
彼女は、いきなり話を振られたことに戸惑いながらも、はっきりとうなずく。
「はい。普段は向こうに・・・。」
「今日も、練習前は向こうに置いてあった・・・。」
新一が呟くように言うと、再びうなずく。
「はい。」
「移動したのは、秋田先生ですね?」
「・・・はい。」
新一は、答えた彼女に一度うなずいてみせると、そのまま秋田先生に向き直る。
「こちらに救急箱を移してしまえば、救急箱を探る振りをしてテグスを切ることくらい簡単ですよね。」
秋田先生は、微笑んだままうなずく。
「まあ、そうだろうね。」
犯人だと言われ、徐々に追い詰められていく者とは思えないようなその笑顔に、周りの者たちも違和感を感じ始める。
「そして、あなたが救急箱を移動してから、それに近づいたものは誰もいない。」
「・・・だから?」
「・・・あなたしかテグスを切ることができないんです。」
新一の言葉に、秋田先生の笑顔が大きくなる。
それを見て湧き上がる苛立ちを、完璧に隠したまま新一は続ける。
「この仕掛けが作られたのは、ここ一週間。秋田先生、あなたはバスケ部の朝練が一番早いために、毎朝体育館の鍵を開ける。」
話しながら、新一は説明することの無意味ささえ感じる。
逃げようとはしていない、だけど明らかに異様な態度のこの教師に。
「そしてこの一週間の間には、宿直だった日がある。・・・つまり、人に見られずに仕掛けをする時間もたっぷり・・・というわけです。」
「僕だけができるわけじゃないと思うんだがね。」
最初の人好きのする笑顔とは程遠い、穏やかでありながら人の神経を逆なでするような笑みを浮かべて。
返されるだろう答えなど、わかりきっているはずの言葉を投げかけてくる。
「・・・秋田先生、もう芝居がかった真似は終わりにしましょう。」
新一は、気圧されないために、彼に負けずに穏やかな口調を保ったままだったが、その視線は口調を裏切って鋭い。
「あなた、持ってますよね、証拠となるテグス。重りに結び付けられたそれと、切り口が一致する、たったひとつのテグスを。」
「・・・確信しているようだね。捨てているかもしれないよ?」
彼は、自分が犯人じゃないとは言わない。
初めから隠す気などないのだ。それどころか、自分が殺したのだという主張さえ感じられる。
あからさまに残された幾つもの証拠がそれを物語っていた。
新一は、彼から視線をずらす。
「ええ、捨てることもできたでしょう。誰が持っていたか特定できない場所に、ね。」
一旦言葉を区切って、改めて秋田先生に視線を戻した。
「・・・でも、あなたは捨てなかった。なぜか・・・。」
「その理由がわかっているから、君は確信しているのだろう?」
新一は、小さく息をつく。
目暮警部と、高木刑事へと振り向いた。
「秋田先生と、殺害された杉山先生、同郷の出身でしたよね?」
突然振られた話に、目暮警部が慌てて答える。
「あ、ああ。それも・・・高校の同級生だよ。」
新一がうなずく。
「・・・今から16年前、その高校で事故があって、女生徒が一人亡くなりました。」
新一の視線が、一瞬だけ秋田先生に戻る。
「その女性が・・・秋田先生、あなたの幼なじみだった。そうでしたね、高木刑事。」
「ええ。当時、秋田さん、杉山さん、そしてその女性の担任だった先生が覚えていたよ。・・・悲しい事故だったと言って・・・。」
高木刑事からはずされた新一の目が、そこにないものを見つめるように空中で止まる。
「・・・それが、事故じゃなかった。違いますか、秋田先生。」
再び焦点が結ばれた瞳には、秋田先生が映った。
彼の表情が、小さな、口元だけの笑みに変わる。
おそらく、新一が今日初めて見る、秋田先生の人間らしい表情。
それは、とても悲しい微笑だった。
「・・・君が考えている通り、彼女は殺されたんだ。杉山に・・・ね。」
話し出した途端に、彼の微笑みは消えた。
無表情で、淡々と語りだす。
「見かけは事故。殺人だなんて証拠もない。・・・だけど、杉山は故意だったんだよ。」
「・・・なぜ、故意だと?」
新一は静かに問い掛ける。
「本人がそう言ったのさ。当時・・・今思い出しても吐き気がするような笑顔でね。」
秋田先生の表情が、微妙に変化する。
その中心にあるのは、暗くて・・・冷たい、炎を宿した瞳。
「あなたの殺害方法は、16年間かけて考えられたものではありませんよね。どうして、今になって?」
彼は、その瞳を新一から逸らし、誰も視界に入らない舞台の方へと向けると、ゆっくりと歩く。
「・・・先月、あいつは結婚したね?そのあとで、彼が言ったのさ。君も早く結婚しろよ、いつまで昔をひきずっているんだ・・と。・・・幸せそうな顔でね。」
彼の手が、色が白く変わるほど強く握り締められる。
振り返った彼は、新一をまっすぐに見つめた。
「彼女は、幼なじみで、大切な人だった。・・・君にとっての毛利さんと、同じようにね。」
つぶやくように付け加えられた言葉に、新一が少しだけ動揺する。
その様子に、彼の目が一瞬、細められた。・・・懐かしいものでも見るように。
けれども次の言葉を搾り出したときには、すでに彼の瞳は暗い炎に支配されていた。
「君なら許せるか?」
「・・・」
新一は答えられない。
「私は、許せなかったよ。なぜ、あいつが幸せになれるんだ?私から、いや彼女から全てを奪ったあいつが!」
秋田先生は、大きく息を吐く。
「だから、殺した。昔、彼女には止められていたけれど・・・だからずっと、我慢してきたけれど。・・・殺さずにはいられなかったんだ。」
体育館に沈黙が流れる。
黙っていたら、彼の犯罪を肯定してしまうような気がして、新一は静かに口を開いた。
「あなたは、大切な人を不条理に奪われる痛みを知っている。・・・杉山先生を殺せば、彼を愛している人が、あなたと同じ痛みを背負うことになるとは・・・考えなかったんですか?」
彼の瞳の色が変わる。
新一の言葉に揺れたその瞳は、けれども一瞬だった。
瞳が色をなくし、沈黙が支配する。
そうして、しばらくして呟かれた言葉。
「・・・君は、何もわかっていないよ。」
小さかったその呟きが、徐々にはっきりとした意思を持って新一へと向かう。
「なぜ、殺人を犯すほどに憎むのか。それが、どれほどの憎しみなのか・・・。君が頭で考えるものとは、きっとかけ離れている。」
変わらずに静かな言葉とは裏腹に、その瞳に暗く燃える憎しみの炎は、ゆっくりと激しくなっていくような気がした。

一瞬のち、彼は突然手近にいた刑事に飛び掛った。
当身をくらい、気を失って崩れ落ちる刑事。
「この学校でね、私が嫌いだった人間がもう一人いる。」
言葉と共に振り返り、ゆっくりとあげられた手に鈍く光るのは、拳銃。
一気に緊張が走る体育館内で、彼はその銃口をまっすぐに新一に向けた。
「く、工藤くん!」
「動くな!」
叫んだ警部を、彼は別人のような鋭い声で制止する。
新一に、焦りは・・・生まれない。
ただ、自分の後ろには誰もいないことだけを確認した。
警部達は、しっかりと的を捉えたその状態に動くこともできない。
そして、あまりにも突然のことに、逃げることさえも忘れた生徒達。
そんな中、彼は再び静かな口調で告げる。
「憎しみを理解しない君が、なぜ人を裁く?・・・君にだって、罪の一つや二つは必ずあるはずだ。それなのになぜ、人の罪を暴く?」
新一を見ているのに、新一を捉えず、通り過ぎていく視線。
「君が裁く側にいるのは、環境に守られているだけのことだ。」
空虚な瞳には、憎しみの暗い炎が揺らめく。
「それを、教えてあげるよ・・・。」
小さな微笑と共に動いた腕。
新一からはずされた銃口が、改めて捉えた相手は・・・。
新一の背に、戦慄が走った。
引き金にかけられた指先。
ゆっくりとそこに力が込められる。
「ふせろ蘭っ!!」
夢中で地面を蹴った新一が、蘭に飛びつくのとほとんど同時に、乾いた銃声が響く。
飛びついた勢いのままに、新一は蘭を抱えて床に転がった。
左肩に走った痛みに気をとられる余裕もなく、そのまま蘭を腕の中にかばって床に伏せる。
あと何発、銃弾が残っているのかわからない。
起き上がって走れば、後ろにいる生徒達に間違いなく流れ弾が当たる。
逃げることのできないその状況に、新一は全身で蘭を覆いながら、警部に鋭い視線を送った。
「警部!銃を・・・!」
「えっ、だが・・・ッ!」
戸惑う警部。
そうしている間にも、パシンッ!パシンッ!と、新一のすぐ近くの床に銃弾が突き刺さる。
「早く!!」
張り詰めた声で叫ぶ新一に、意を決した警部が反応した。
勢いよく床に滑らされた銃を取ろうと、蘭の手が伸ばされそうになるのを、
「動くな、蘭!」
すぐさま制止して、新一は右手に銃を取る。
瞬間、今度はわき腹に感じる熱さ。
「くっ・・・」
感覚が消し飛び、遠のきそうになる意識を、危ういところで繋ぎ止める。
かすむ目の焦点を意志の力で合わせて、新一は、引き金を引いた。

・・・ガァーンッ!!

体育館中に響いた銃声と共に、彼の手から拳銃が飛ばされる。
「警部!」
新一の声に、凍りついていた空気が解かれる。
「取り押さえろ!!」
警部の声で警官が彼に殺到し、その手に掛けられた手錠の冷たい金属音で、事件はようやく終わりを告げた。

新一の手から、拳銃が落ちる。
「蘭・・・、けが、は・・・?」
「・・・ないよ。」
「・・・よかった・・・。」
いつのまにか緩められた新一の腕から、蘭はゆっくりと身を起こす。
「ありがとう、しんい・・」
振り返った蘭の体から、滑り落ちる腕。
蘭の瞳が驚愕に見開かれる。
新一の服に静かに広がっていく、2つの赤い染み。
「新一ぃッ?!」
「どうした蘭くん!」
悲鳴のような蘭の声に、警部が振り返る。
「く、工藤くん!?」
即座に自体を把握した警部が、救急車を手配するように部下に指示を出す。
それを横目に、新一は無理やり体を起こした。
痛みに気が遠くなるのを、精一杯何気ない振りを装ってこらえる。
「新一、動かないで!血が・・・っ!」
叫ぶ蘭を制止して、こちらをじっと見ている秋田先生に、視線を向ける。
先ほど彼に投げかけられた問いに、答えるために。
「もし、あなたと同じ状況になっても、おれは殺さない。」
怪我をしているとは思えないほどに、はっきりと告げられた言葉に、彼の口元が歪められる。
「偽善者というんだよ・・・それは。」
「そう・・・ですね。きっと、殺したいほど、憎むから・・・。」
いつのまにか、しんと静まり返った体育館に、新一の声だけが響く。
「だけど殺せない。どんなに憎んでも、おれがそのために、殺人を犯したら、・・・っ!」
咳き込んだ新一の唇から、ひと筋の血が流れる。
「新一!」
新一の背中を支える蘭が叫ぶ。
新一は、蘭に視線を向けて一瞬だけ微笑むと、再び秋田先生を見つめて、言葉を繋げた。
「そのせいで、人を殺したら・・・こいつが、自分を責める、から・・・。絶対、泣くから・・・。」
苦しい呼吸を押し殺して、大きく息を吐く。
視線だけは、しっかりと秋田先生に向けられたままで。
「そんなこと・・・できない。」
新一が黙れば、静けさだけが広がる。
長い沈黙と共にじっと新一を見つめた秋田先生の目に、少しずつ、・・・少しずつ、色が戻っていくように見えた。
ふっと、その口元に浮かぶ笑み。
それまでとはまったく違ったその微笑だけを残して、彼はゆっくりと、新一に背を向けた。


体育館に戻ってくる時間の流れ。
秋田先生が立ち去るとともに、蘭の腕にかかる重さが変化する。
「新一!新一!?しっかりしてよ、新一!?」
力を失っていく全身。
それでも、自分を呼ぶ声に、新一は必死で目を開けた。
視界に飛び込んでくる蘭の瞳。
新一を覗き込むその瞳を占めているのは、おそらく、先程の新一が支配されたのと同じ恐怖だ。
・・・大切な人を、失うかもしれない恐怖。
それを取り除こうと、新一は微笑む。
「大、丈夫・・・だよ。」
蘭を安心させてやりたいと願う、その気持ちに逆らって、隠せなくなる荒い呼吸がもどかしい。
頬に落ちてくる蘭の涙を拭おうと腕に力を入れた瞬間。
肩に走った激痛に、新一は意識を手放した。



2000.7.26 ポチ

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