出逢えたから

<file10>

2人で夕飯の後片付けを終えて、リビングで留学資料を広げた。
資料は当たり前ながら英語で書かれていて、蘭にはわからない単語がたくさんあった。
新一は、蘭が読めそうなところは自分で読ませるようにしながら、わからないところだけを的確にフォローしていく。
そうして時折新一が蘭に向ける視線は、もしも平次や新一の両親がいたなら、からかうネタに事欠かないだろうと思えるほどやさしくて。
新一の表情は、とても緩んでいた。
新一にその自覚はなかったけれど、視線を向けられる蘭はそれにしっかりと気づいていて、照れくさくてどうしても新一を見られずにいる。
(やだ、思い出しちゃだめだってば!)
蘭は必死で資料を見つめるのだが、隣で説明をしてくれる新一の雰囲気が、先ほどのキスのときの新一と重なってしまい、暖かかった感触が甦ってくる。
(きゃああああっ!思い出しちゃだめだってば〜っ!!)
顔が赤くならないように懸命に努力しながら、新一の注釈について資料を読もうとするのだが、雑念が追い払えず、新一の説明するスピードについていけなくなる。
新一は、蘭の訳す速度を考慮して、それに合わせながら解説を入れてくれているのだ。
しかもその速度は、先ほど蘭が集中している間は、蘭にぴったりと合っていた。
蘭は、新一の解説から落ちた理由が理由だけに待ってとも言えず、なんとか新一が説明している場所を探し出そうと、資料に視線をさまよわせる。
と、新一がそれに気づいた。
「らーん?集中しろよな?」
向けられる視線に、心臓が跳ね上がる。
「ごっ、ごめん!」
心臓と同じように跳ね上がってしまった声と、新一の視線に再び雑念が甦り真っ赤になってしまった顔に、蘭は恥ずかしくて顔が上げられない。
しかし、2人が資料を広げているのは、シャンデリア風の大きな明かりが煌々とついているその真下なのだ。
俯いて表情が隠せるものでもない。
新一は、しっかりと気がついていた。・・・その理由以外には。
(なんでこいつ、赤くなってんだ?)
「蘭?どうかしたのか?」
覗き込めば、ますます赤くなって顔を背けようとする蘭に、新一は心配になる。
(熱・・・?)
「具合悪いんじゃねーか?」
そう言って蘭の額に手を当てる。
(・・・大丈夫みたいだな・・・。)
ならどうしてこんなに赤くなっているのだろうか。
(おれ、何もしてないよな?)
蘭の額に手をあてたままで新一は考え込む。
・・・わからない。
「なー、どうした?大丈夫か?」
額にあった手を、そのまま蘭の頬まで下ろすと、少しだけ力を入れて蘭を上向かせた。
蘭はもう極限まで赤くなる。
(お願いだから、離してよぉ〜!!)
恥ずかしさの余り泣き出したいような衝動に駆られ、逃げ出したくなるが、新一から目が逸らせない。
そして、この状態になってようやく、新一は蘭が赤くなっている理由に思い至った。
蘭の真っ赤な顔に、新一自身も蘭と同じように思い出したから。
途端に、頬に血がのぼる。
新一は、ぱっと蘭の頬から手を離し、その手で自分の口を覆った。
今頃になって、先ほどの照れが襲ってくる。
2人してお互いを見やったまま、真っ赤になった状態で固まってしまった。

(ど、どうすりゃいいんだっ?)
(新一も赤くなってるって・・・そういうこと?・・・もぉ〜っ、この状態、どうすればいいのよぉ〜!?)
(あー!!なんとかしてくれっ!)
(いやああ、恥ずかしいよー!なんとかしてぇっ!!)

ひとしきりパニクッたあと、新一は必死にこの状態を打開するための話題を探し始める。
と、ふと疑問が頭をよぎった。
そのまま、何も考えず、その疑問を口にする。
「なぁ、おっちゃん、よく留学許してくれたな?」
新一は、急に冷静さが戻ってくるような気がした。
それは蘭も同じだったらしく、いくぶん頬の熱が引く。
蘭は少しだけ気まずそうに視線をずらすと、小さな声で言った。
「・・・実はね、お父さんにはまだ言ってないの。」
新一はビックリして、声を大きくする。
「え!?・・・そりゃまずくねーか?」
「・・・うん、でも説得するの、大変そうで・・・。」
(まーそうだろうけどさー・・・。)
蘭の言葉に、新一は思わず苦笑いになる・・・が。
「・・・自分だけあとで知らされるんじゃ、おっちゃん気の毒だぜ?」
(蘭のこと、すっげー大事にしてるもんな。)
コナンのときに、それは本当によくわかった。
いいかげんでだらしなくて、推理もたいていはダメだったけれど。
ただのぐーたらオヤジじゃない、人としての魅力を小五郎はちゃんと持っていた。
「・・・うん。」
蘭は新一を見て、困ったような顔をしてうなずく。
不安そうな蘭に、新一は話すとき一緒についていようかとも思ったが、新一がそんなことをしたら、たぶん逆効果だろう。
(あと、蘭の味方になってくれるのは・・・。)
「おばさんは、なんて言ってんだ?」
「え?・・・頑張りなさいって。」
そこまで言って何か思い出したらしく、蘭がくすっと笑う。
「あとね、あの人のことはまかせなさいって。いざとなったら私がなんとかしてあげるわってさ。」
うれしそうにくすくすと笑う蘭。
新一も、それにつられて声に出して笑った。
「ははっ、それって、そういうことだよな?」
「・・・よね?」
2人で笑いあう。
「なら、おっちゃんの心配はいらねーな。」
「・・・そうよね。」
「でもさ、ちゃんと蘭から話してやれよ?」
「うん。そうする。」
今度ははっきりとした答えが返ってきた。
少し安心して、新一は念を押す。
「けんかはすんなよ?」
覗き込んでそう言うと、蘭が苦笑いをした。
「・・・大丈夫!」
そう答えてにっこりと笑う。
(・・・不意打ちはやめてくれ・・・。)
蘭のかわいらしい笑顔に、再び赤くなりそうになる頬をぴたぴたとたたく。
「なにやってんの、新一?」
「いや・・・。」
新一は引きつった笑いを浮かべて言葉を濁す。
まだ不審げな目を向けている蘭をごまかそうと、慌てて口を開いた。
「なー、そういえばさ、留学考えてるってなんでだまってたんだよ?」
その場しのぎで振ったつもりの疑問だったが、口にしてみるとすごく気になりだす。
(そーだよ、おれあんなに悩んでたのによー・・・。)
さすがに、あれだけ悩んだあとだと、黙っていた蘭を恨みたくもなる。逆恨みだとわかってはいるが。
そんな新一の内心など、まるで気づいていない蘭は、楽しそうにくすくす笑っている。
「驚かせたかったのもあるけど、・・・ちゃんと考えてからじゃないと反対されると思ったんだもん。」
(・・・確かに、その通りだけどよ・・・)
ただついて来たいとだけ言われれば、どんなに離れたくなくてもきっと反対した。
だけど・・・。
はぁーっと、自覚がないわりには大きなため息をついて、新一はぼやくように呟いた。
「ったく、人の気も知らねーで・・・。」
その言葉が蘭の耳に届く。
「なによ、人の気って?」
「え、いや・・・。」
「だいたい、留学黙ってたのって新一も同じじゃない!」
「・・・」
そう言われれば確かにその通りで、返す言葉もない。
と、不意に蘭が新一を覗き込んできた。
(・・・え?)
びっくりして見返すと、蘭はそれを受けてじーっと新一を見ている。
(・・・なんだよ?)
「ねえ、新一が最近悩んでることって、なに?」
いきなり、あまりにもストレートに尋ねられて、新一はごまかすタイミングを逸した。
奇妙な間があいたにも関わらず、往生際悪く、新一はとぼける。
「え、んなの、たいしたことじゃねーって。」
「・・・このテーブル、割ってもいい?」
蘭は冷めた目でテーブルを指差す。
(げ。まじだ。)
すわっていく蘭の目に、新一は慌てる。
「いや・・・。」
「じゃあ、話してくれるの?」
「だ、だからなんでもねーって・・・お、おい待てよ!」
隣でアアアアーっと言う声が聞こえ出して、慌てて蘭を止める。
(まずい・・・。)
こうなった蘭はごまかせそうにない。
それでなくともこの話題では、蘭を幾度も適当にあしらってきているのだ。
がしかし、悩んでいた理由なんて情けなくて言えたもんではない。
蘭に心配をかけていたのはわかっているが・・・。
・・・やはり、言えない。
(んなこと、かっこわるくて言えるかよ!)
ごまかすしかない、と結論を出した瞬間。
「どうして?・・・私じゃ、新一の役には立たないかもしれないけど・・・。」
そう言った蘭の寂しそうな目に、新一はあっという間に・・・負けた。
「そうじゃねーよ・・・。あれは、さ。」
説明しようとして、はぁ・・・と、ため息が洩れる。
やっぱり情けなくて言いにくい。
「・・・なー、もう解決してるんだよ。だからさ、気にすること・・」
言いかけた言葉は途中で掻き消える。
(んな顔すんじゃねーって・・・。)
わめかれるよりもよっぽどタチが悪い。
そんな顔されて、ごまかせるわけがない。
あきらめた新一は、半ばやけになって口を開いた。
「わぁーったよ、言うよ!」
叫べば、蘭が顔を上げてまっすぐに新一を見つめてくる。
居心地の悪さを感じながらも、覚悟を決めた新一は、目を逸らしただけで話し出す。
「あれは・・・留学を決めたって父さんに話したらさ、大事な人と離れることがどういうことかきちんと考えておけって言われて・・・その・・」
新一がちらりと蘭を見て・・・また目を逸らす。
「考え出したら・・・えーっと・・・ほら、おれ今までオメーと離れたことなかったしさ!・・・だから、つまり・・・そういうことなんだよっ!」
最後は結局ごまかして、ちらっと蘭を見ると、蘭は目を丸くして新一を見つめていた。
新一は赤くなって、慌てて目を逸らす。
少しして、蘭が口を開いた。
「・・・そういうことって?」
「だ、だからっ・・」
「・・・なあに?」
「・・・」
「・・・」
蘭はそれ以上は何も言わずに、ただ新一が話すのを待っている。
話さない限りこの状況は続くのだと悟った新一は、とうとう観念し、叫ぶようにして答えた。
「だからぁ、オメーと離れんのがいやだったんだよっ!!」
「・・・・・・」
蘭とは反対方向を向いた新一の横顔に、蘭の視線が突き刺さる。
・・・・・・沈黙が痛い。
そう思ったとき、ようやく蘭が口を開いた。
「・・・それで、悩んでたの?」
「・・・・・・そうだよ。」
「ずっと・・・、あんなに・・・?」
「そうだよっ!悪いかよっ!?」
ふてくされて声を大きくした新一に、蘭が静かにつぶやいた。
「・・・しんいち」
そのうれしそうな響きと同時に、頬に感じたやさしい感触に、新一は驚いて振り返る。
「らん!?」
(・・・今のって・・・)
目をまるくする新一に、蘭はえへへっと照れくさそうに笑って。
ふわっと新一に抱きついた。
「・・・ありがとう。」
頭が真っ白になっている新一は、蘭の言葉に返すセリフも出てこない。
抱きつく蘭に触れることもせず、ただ呆然として、新一は、視界に入る蘭の髪を見つめていた。



2000.7.20 ポチ

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