出逢えたから
<file09>
ソファに座りなおした新一は、まっすぐに蘭を見つめる。
それを、しっかりと見返す蘭。
「おめーさ、ちゃんと考えたか?」
「・・・なによ、考えたわよ?」
「・・・」
新一は、一旦蘭から視線をはずし、どう話せばいいだろうかと思案する。
蘭が一緒に来てくれたら・・・それは、どれだけうれしいかわからない。
だけど、・・・本当にいいのだろうか?
そっと隣に目を向ければ、蘭は新一が口を開くのを待って、静かにこちらを見つめている。
「なー、蘭は将来なにやりたいんだ?」
「将来?・・・仕事?」
「仕事に限ることはねーけど・・・大学卒業したあと。」
「主婦か・・・弁護士。」
「・・・え。」
新一の質問に、即座に答えが返ってきたことに驚く。
そして、その内容にも。
(・・・弁護士?蘭が?)
どうも、蘭のイメージとは結びつかないような・・・。
蘭の母さんの影響なのだろうか?
「弁護士?」
「・・・うん。なりたい。」
うなずく蘭が妙にかわいくて、つい気が反れそうになるのを隠して、新一は続ける。
「なら・・・日本にいた方がいいんじゃねえのか?」
弁護士になるための司法試験は、合格率が数パーセントの難関だ。
たいていは法学部に所属する人間が、ダブルスクールといって、大学と平行して資格の専門学校に通いながら勉強する。
そりゃ、法学部じゃない人も、専門学校に通わずに独学する人も、いるにはいるが・・・。
学部はともかく、独学で合格なんて・・・まず無理だろう。
やっぱり、日本にいてダブルスクールの形で勉強した方が確実だ。
「新一は、私がロスに行くの、反対なの?」
尋ねてくる蘭の瞳が、寂しそうに陰る。
そんな目を見ると、どうしても慌ててしまう新一は、
「そ、そんなんじゃねえけどっ」
どもりながら答えたけれど。
蘭は対照的に、とても冷静な口調で、だけど不安に揺れる瞳で新一に問う。
「離れたくないって、思わないの?」
「いや、だからさ・・」
「思わないの?」
「・・・・・・思ってるよ。」
繰り返される言葉と蘭の瞳に、新一は白旗を掲げるような気分で答えた。
蘭がうれしそうに微笑む。
が、ここで話を止めるわけにはいかない。
「けどな、蘭?おめーのやりたいことを最優先して欲しいんだよ。大学生って・・・将来のこと考えると、ほんと大事な時期だろ?」
「うん、わかってるよ。・・・だから新一は、留学を決めたんでしょ?」
「・・・ああ。」
うなずく新一に、蘭は笑顔のままで、穏やかに話し出す。
「私ね、正直に言って、新一と離れたくないっていうのが最優先なの。」
「蘭、だから・・」
「聞いて、新一。」
口を挟もうとした新一を制止して、蘭は続ける。
「だけどね、新一について行くなら、自分の将来のことちゃんと考えなきゃダメだって思って、一週間、お母さんに相談に乗ってもらいながら、考えたんだ。」
「・・・弁護士?」
蘭の話を促すように、新一は静かに問い掛ける。
「うん、そう。司法試験・・・難しいよね。確かに日本にいたほうがいいのかもしれないけど・・・。」
「・・・ああ。」
「でも、資格試験だから、必ず日本の大学を出なきゃいけないわけじゃないでしょ?」
「・・・けどさ・・・。」
「そりゃ大変だと思うけど、決めたの!私、ロスで大学行きながら勉強する。お母さんがね、教材とかは送ってくれるって。勉強も通信添削みたいにして見てくれるって言ってくれて。」
「・・・ロスの授業と両立しなきゃなんないんだぜ?」
新一は、蘭の行動がちゃんと考えた上でのものだと知って、かなり驚いていた。
それでも、心配は消えない。
蘭の選ぼうとしている道は、かなり厳しいと思うから。
「日本にいたほうが、楽だぞ・・・?」
一緒に来て欲しい気持ちを抑えて、繰り返し蘭に尋ねる。
「でも、こっちには新一がいないじゃない。・・・楽じゃ、ないわよ。」
「・・・」
「いいの!大丈夫よ!わたし、頭はそんなに良くないけど、根性はあるのよ?知ってるでしょ?」
「・・・まーな。」
にっこりと新一を覗き込んでくる蘭に、思わず苦笑いが洩れる。
「向こうの授業、けっこう大変だぜ?」
「無駄になることじゃないでしょ?・・・それに、新一もいるしね。」
いたずらっぽく笑って答える蘭に、新一が、ついに諦めたような笑顔に変わった。
「・・・仕方ねーな。んじゃ、面倒みてやっか。」
新一の返事に、蘭は一瞬、とてもうれしそうな表情を見せて、でもすぐにその表情が変化する。
「なーによ、えらそうに!・・・それにね、きっと、面倒みるのは私のほうよ?」
余裕たっぷりで、どこか含みのある蘭の笑顔に、新一は思いっきり不審そうな顔を向けた。
「・・・なんでだよ?」
「ふ、ふ、ふ。」
(な・・・。こいつがこういう笑い方するときって、ぜってー勝てないことなんだよな・・・。)
蘭の笑顔に、新一の表情が引きつる。
一体、なんだというのだ。
「もったいぶらずに教えろよ。」
聞けば、みるみるうちに蘭の表情が緩む。
(なんだなんだ?)
「ロスでね、わたし、新一の家にお世話になるのよ。」
「・・・あ?」
「今度は私が居候するの。」
繰り返された言葉に、新一は、しっかり一拍固まって。
けれどもすぐに、ああそうか・・・と納得した。
「そっか、そうだよな。」
寮じゃお金もかかるし、何よりも心配だし。
(だから、一緒に住む・・・のか。)
うれしい発見に、新一は自然と笑顔になっていく。
それを見つめていた蘭も、幸せそうに微笑んだ。
「また、よろしくね!」
「おぅ。」
(・・・そっか・・。)
新一は目を伏せて、少しずつ心に染み渡っていく暖かい気持ちを噛み締める。
(一緒に暮らすのか・・・。)
それは、今よりもっと、近くにいられるということ。
コナンでいたときのように、だけど今度は、ちゃんと新一として。
・・・なんだか、不思議な浮遊感を感じる。
この一週間、蘭から離れるのは仕方がないんだと、どうしようもないのだと自分に言い聞かせていた。
これ以上つらくなったら離れられなくなる・・・と、心を麻痺させて。
今はこれ以上好きになってはいけないとまで思って、蘭の隣で、その笑顔に緊張して。
それらすべてが、今、ゆっくりと溶かされていくような気がした。
(・・・離れなくて、いいのか・・・。)
「そっか・・・。」
知らずに声に出して呟いて。
良かった・・・と、なんとも言えない安堵感が新一の全身を包み込む。
側にいられるんだ・・・と、心の底から実感したとき、新一は、隣で微笑む蘭を、静かに抱きしめていた。
「えっ?」
驚いた蘭が、声をあげる。
そんなことさえ愛しくて・・・新一は、蘭を抱く腕に、少しだけ力を込める。
「・・・新一?」
「・・・なんだよ。」
蘭は、不思議そうに問いかけながらも、新一に寄りかかったままじっとしている。
それが、すごくうれしくて。
腕の中の暖かさに、その存在が確かにそこにあるのだと感じて、新一はそっと息をつく。
(・・・こいつ、離さなくていいんだよな?)
蘭の存在ひとつに、ここまで振り回されている自分が妙に滑稽で、苦笑いも洩れるけれど。
それでもいい、それだけ大事なんだと笑っている自分がいることが、新一は、とても幸せだと思えるから・・・。
「・・・新一?」
「・・・なんだよ。」
抱きしめた腕を緩めもせずに、同じ反応を返す新一に、腕の中からクスッと笑いがこぼれた。
「あんだよ?」
「・・・・・・へんなの。」
とてもやさしい声で、蘭が呟く。
「・・・るせーな。」
クスクスと、途切れない蘭の笑い声に、新一は少しだけ腕を緩めるて、蘭の顔を見ようと俯く。
と、そっと新一を見上げてきた蘭の笑顔に、新一はそのままくぎ付けになった。
心臓が、ドクンと脈打つ。
一週間ぶりに、無警戒で見た笑顔だから・・・だろうか?
そう理屈をつけてみて。
(・・・かんけーねーか。)
そんな自分がおかしくなる。
蘭の笑顔には、いつだってどきどきしているのだから。
新一は知らない。
自分がどんなにやさしい目で、暖かい笑顔で、蘭を見つめているのかも。
本当は、蘭だって、その新一の表情に、新一に負けないくらいどきどきしているのだということも。
「新一?」
覗き込むようにしてもう一度問い掛けた蘭に、新一は、溶けてしまいそうな甘い笑顔を返して。
・・・飛び跳ねる心臓を抑えながら、ゆっくりと、頬を寄せた。
新一は、腕を解いて蘭から離れると、へへっと笑ってみせる。
それを見て、真っ赤になって固まっていた蘭が、ようやく動きを取り戻した。
「あのさ、蘭?」
新一が静かに問い掛ける。
「・・・なあに?」
「1つだけ、約束しようぜ。」
突然の言葉に、蘭は不思議そうな顔をした。
「なにを?」
問い返す蘭に、笑顔のままで新一は告げる。
「おれ、絶対優秀な探偵になるから、蘭も、いつか必ず弁護士になること!」
はっきりと、ひと言ひと言大切に話される言葉に、蘭は一瞬だけ目を丸くして。
それから、新一が赤面するような笑顔を見せた。
「うん。・・・約束よ?」
「・・・ああ。」
「なぁ、そういえば・・・腹減らねぇ?」
新一は、いつのまにか薄暗くなった部屋を見回して、思い出したように呟く。
「留学資料見るの、夕飯食べてからにしねーか?」
一瞬ぽかんとした蘭だったが、その話の飛ばし方が妙に新一らしくて、苦笑いが浮かぶ。
「・・・そうだね。それじゃ、今作るから、勝手に先に資料見たらダメだよ?」
「わーってるって。・・・なんか足りないもんあれば買ってくるぞ?」
キッチンに入っていく蘭について歩きながら、新一は思う。
この生活が、少なくとも向こう5年間は続くのだと。
久しぶりにとても満たされた気持ちで、新一はキッチンに向かう蘭の後ろ姿を見つめていた。
2000.7.14 ポチ