出逢えたから
<file06>
翌日、新一は、布団の隙間から入り込んでくる冷気と、ザァザァと打ち付ける雨の音に目を覚ました。
時刻は8時半。なのに、外はまだ薄暗い。
新一はむくりと起き上がると、ぶるんっと身震いし、毛布にくるまったまま、それを引きずりながら窓際まで歩く。
カーテンを開けると見事なほど降りしきる雨。
窓越しに溜まっていた冷気が新一の体に纏わりつく。
どんよりと曇った空に、雨のやみそうな気配は微塵もなく、新一はぼんやりとした頭で、今日のトロピカルランドは中止だな、と思う。
「ふぁ・・・。これだけ寒いと眠気もすぐ飛ぶよなー。」
欠伸をしながらひとりごち、窓辺から離れるともう一度布団に潜り込もうとして、はたと思い立つ。
(蘭に電話しとくか。)
外はいつになく寒そうだし、ここまで来るのも大変だろうから。
来なくていいと言っておいたほうがいい。
言わないと、きっと来てしまうから。
さすがに部屋の外まで毛布を持ち出すわけにもいかず、あきらめて震えながら階段を下りた。
受話器を取り、電話番号を途中まで押したとき、
ピンポーン・・・
玄関にチャイム音が鳴り響いた。
(あちゃー、遅かったか。)
慌てて玄関を開けると、すぐに蘭を招き入れた。
「おはよう、新一。起きてたんだね。」
そう言う蘭の息は白く、その唇は寒さに震えている。
コートにマフラー、手袋といった完全装備だが、それでもこの季節、雨の中の寒さはしのげなかったのだろう。
「わりい。今起きたばっかで、まだ暖房も入れてねーんだ。電話しようと思ったとこだったんだけど。」
頭をかきながら言う新一に、蘭はいつも通りの笑顔を向ける。
「いいよ。どうせ来てたと思うし。・・・トロピカルランドは無理そうだね。」
「ああ。ま、天気ばっかはどうにもなんねーしな。仕方ねえよ。」
蘭から受け取ったコートやなんかをハンガーにかけながら振り返る。
「それよりさ、風呂はいれるからあったまって来いよ。そのまま暖房が効くの待ってたら風邪ひいちまうぞ。」
新一の家は、いつも新一が風呂に入ったあとにすぐ入れなおしているので、ほとんどいつでも風呂に入れる状態になっているのだ。
「おめーが入ってるうちに、部屋もあったまるだろうから。」
言われているそばから、ぶるぶると震えていた蘭は、うれしそうにうなずく。
「ありがと。借りるね。タオルも勝手に使っていい?」
「ああ。場所わかるよな。」
「・・・しまったの、わたしじゃない。」
(・・・そうでした。)
いつも、というわけではないのだが、蘭が来たときに新一がやりかけの家事があると、蘭がやっていってくれるのだ。
新一の生活のなかには、本当にあたりまえに蘭の存在が溶け込んでいた。
「新一も、はやく服に着替えないと風邪ひいちゃうよ。・・・ほらほら。」
まだパジャマのままで、蘭に世話を焼く新一を、蘭はせかすように手をひらひらと振る。
言われて初めて、新一はさっきまで自分も震えていたことを思い出した。
「わーってるから、おめーも早く行けって。ゆっくりあったまっとけよ。じゃ。」
そう言って蘭を追い立てると、新一はリビングの暖房のスイッチを入れ、着替えるために2階に向かった。
着替えた新一は、朝食を用意しておこうとキッチンに入る。
コポコポとコーヒーを煎れながら、卵くらいは焼くか、と冷蔵庫を開けて、
(あ、ヨーグルト。蘭食べるかな。)
などと考えている自分に、思わず苦笑いが洩れる。
スルランブルエッグを作ろうとフライパンを持つ自分も、妙に浮かれているような気がするのは気のせいだろうか?
(今更そういう幸せに気づいても、離れるのがつらくなるだけなんだけどな。)
だからといって、その幸せを拒絶する気なんて毛頭ないが。
こうして蘭に関わっている全てが、自分の周囲から切り離されるのかと思うと、寂しいとかいう以前に、新一の存在自体がひっくり返りそうな気がして。
・・・認めたくはないが、正直言って、怖かった。
昨夜もいろいろ考えていたけれど、どうしてもある一線以上は踏み込んで考えられない。
そんなことは、今までなかったのに。
『蘭から離れたら・・・』
そのあとに続く事柄が多すぎて、しかも、いままであたりまえすぎるほど自然なことだと思っていたことばかりで。
それらが自分の生活から抜け落ちたときに、自分がどうなるかなんて・・・、どうしたって想像できない。
結局、ため息が出て、考えるのをやめてしまう・・・逃げていると自分を戒めても、変わらずその繰り返しだった。
ジュ〜ッという音がして現実に引き戻され、
「あ、やべ。」
慌てて卵を焼く手を動かす。
少しばかり固まりの大きくなってしまったスクランブルエッグをお皿に盛りつけたとき、蘭がキッチンに入ってきた。
「あ、失敗してる。」
すかさず卵を指差す。
「うるせーな。考え事してたんだよ。」
「新一、前もそう言って魚焦がしてたじゃない。考え事して料理すると危ないよ?」
クスクスと笑う蘭は、十分にあたたまってきたようで、白い蒸気に取り巻かれている。
髪は洗わなかったらしく、後ろにまとめ上げたままで、それがやけに色っぽい。
新一は、なにげなく蘭に向けた視線がそらせずに、一瞬ぼうっとした。
「新一?」
「えっ、なに?」
「フライパン、いつまで持ってんのよ。」
「あ、ああ。うん。」
「パン、焼いていい?」
テーブルの上の食パンを取り上げて、蘭が聞いてくる。
「いいよ。蘭、ウインナーもいるか?」
「うん。・・・新一、私がやるよ。貸して。」
「サンキュ。」
フライパンを蘭に渡し、新一はキッチンを出た。
蘭に羽織らせるものはないか、とクローゼットを探る。
見つけた大きめのストールを持ってキッチンに戻ると、すっかり用意が整っていた。
「これ、しばらくはおっとけよ。湯冷めするぞ。」
「あ、ありがと。」
「あと、ヨーグルトあるんだ。食べねー?」
「ジャムある?」
「・・・マーマレードならあるけど。」
「じゃ、欲しい。」
一緒にテーブルについて、いただきます、と言うと、
「なんか、なつかしいな。コナンくんがいたときみたい。」
と蘭が笑った。
「そうか?おれはどっちかってーと・・・。」
「何よ?」
「いや、なんでもない。」
(言えるか、新婚みたいだなんて!)
平静を装って、パンにかぶりつく。
「なあにー?言いかけて途中でやめるなんてずるい。」
「ほんとになんでもねーって!」
言葉の通りなんでもないふうに笑ってごまかそうとしたら、
「・・・あててあげようか?」
と言われて、ビックリして蘭を見る。
なんだか意味ありげに、うれしそうに笑っているところを見ると、どうやら本当に見抜かれているようで。
「あ、あてなくていいよ・・・。」
新一は、結局隠し切れずに慌ててしまった。
(こいつ、つきあいだしてから妙に鋭くなったよなー。前はとことん鈍かったのによ。・・・今も普段はボケてるか。
こっちが気づいて欲しくないときばっか気づきやがる。)
なんとなくくやしくて、でもどうもそれさえもうれしく思っているらしい自分に、新一は心の中で苦笑いする。
・・・もう、外の寒さなんて関係なかった。
ちょっと一息。
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