見つめる先
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「キッド!?」
 一体どうした、と驚く中森に、キッドは苦々しく告げた。
「この通路は使えない。」
「なにぃ!?」
 中森を引き上げて立たせ、キッドは窓に駆け寄ると静かにそれを開けた。
 廊下には複数の足音が聞こえている。そこへ飛び出すのはあまりにも危険で、抜け出せるのはベランダしかなかった。
「隠し通路の出口は、奴等の仲間が張っているようです。」
「なんだと!? この屋敷の隠し通路を奴等が知っているということか!?」
「ええ。」
 短い返答。だがそれだけ聞けば、中森にも想像がついた。
 行き着く答えはひとつ。郷田が、奴等の仲間だった、ということだ。
 この屋敷は、郷田が持つ地位を利用して外部の権力から守られていた。彼らも都合よく利用していたのだろう。
 そこまでは想像がついても、中森にはまだわからないことだらけだ。
「…郷田が仲間…。一体どういう組織なんだ…?」
 思わず呟いた。
 だが、それを考えている猶予などない。
「警部、今はここを脱出することが先ですよ。」
「あ、ああ…」
 キッドに言われて慌てて頷く。
 同じく窓際に駆け寄り、外を覗こうとして、キッドに身をかがめるように言われた。
 言われるがままに身をかがめれば、キッドの手から放り投げられた何かが、ベランダというベランダにばら撒かれる。それは間をおかずにプシューと中森もよく知った音を立て、視界を白く包み込んだ。
 キッドと共に逃げ出そうとしている状況では、当然キッドの振る舞いが見える。それはまるで手品師の裏方を覗き見てしまったような居心地の悪さを、中森に感じさせた。
 見るはずのないものを見ている。仕掛けであっても、行動の選択の仕方であっても、追う側から見るのと、共に行動しながら見るのとではまったく違う。

 ――マジックは魔法じゃない。種も仕掛けもあるんですよ。

 そう言ったのは中森の娘の幼馴染の少年だ。
 今、その言葉の意味をまざまざと感じていた。
 まさにその種や仕掛けを見ている。それそのものではないとしても、キッドが見せるマジックの裏側を見ていることに変わりはない。
 そうすることで、本来はわかるはずのなかったことがわかってしまうような気がして、中森は目を逸らしたくなるのを無理やり気づかないふりで押さえ込んだ。
「警部?」
「…なんだ。」
「屋敷を出て、地上を行くのはリスクが高すぎる。どこで奴等に鉢合わせるかわかりませんから。」
 これだけ暗くては、勝手がわからないこちらが圧倒的に不利だ。キッドとて下調べはしているだろうが、根城にしている奴等と張り合うのは得策とはいえない。
 頷いた中森に、キッドは珍しくもどこか迷うような口調で告げた。
「私なら、空から行きます。ですが、私と共に行動することも、あなたにとってはリスクが高い。」
 キッドは、中森を無事に逃がす手段を真剣に考えている。
 それなのに、彼の行動から普段ならば知るはずのないことを悟ってしまうのは、ひどくずるいように感じた。
 共に行動することに異論はない。例え警察と怪盗だろうと、中森はある意味でキッドをとても信用している。認めたくもないし、ましてや当人に言うつもりなど毛頭ないが、ある意味では戦友のような感覚を持っていることも事実だと思う。
 だが、これ以上知ってはいけないような気がしていることもまた、事実だった。
「――どこかで奴等が去るのを待つ、というのはどうだ?」
 尋ねてみたが、キッドは即座に首を振った。
「彼らが去るときは、ここが爆破されるときだと思っておいたほうがいい。」
「……」
 静かに言われた言葉に、息を呑んだ。
 煙幕を張ったことで、廊下はますます騒がしい。悩むほどの時間はない。
 中森はキッドを見て、頷いた。
 信じるならば、徹底的に信じてしまえ、と思った。
 キッドは、なぜか一瞬驚いたような顔を見せ、それから中森の腕を掴んだ。
「……では、行きますよ。」
「ああ。」
 頷くと、キッドは中森の片腕の下に肩を差し入れた。
 てっきり抱えられてハンググライダーで窓から飛び立つと思っていた中森は、一瞬後に感じた浮遊感に驚いて身を硬くした。
 驚愕がキッドに伝わったのだろう。
「…ああ、失礼。まずは屋根へ。」
 と、頭の上から声が聞こえた。屋敷は3階建てだ。屋根につくと、少しずつ晴れていく煙の向こうに、キッドのダミーが飛ばされているのが見えた。
 なるほど、こうして使っているのかと思う反面、やはり中森は罪悪感にも似た複雑な感情をもてあました。
 思わずひとつ溜息を吐くと、何を誤解したのか、中森を解放したキッドが振り返り、困ったように苦笑する。
 何度もすまないと言われたりはしないが、そう思っているらしいのがありありとわかる様子で。
 だが…と、中森はもう一度、先程とは違う意味でため息を吐いた。
 確かに奴等は怪盗キッドを狙っているのだろう。けれどもそれは、キッドが自身で言ったように、彼にとっても歓迎したくない客だ。まして中森がこの場所にいるのは仕事で、この場でトラブルに巻き込まれたとしても、それは警察である以上受け止めるべき事態なのだ。
 にも関わらず、キッドは逃げるタイミングを逃してしまった中森と共に逃げている。
 一人で逃げてしまえば、身軽に簡単に、それこそいつも中森から逃げるようにして逃げおおせただろうに。
 複雑な思いで、中森はキッドを見た。相変わらずうまく顔は見えないのだが、敵対しているときとは違い、今はなぜか表情が感じられる。
 何も言わない中森に、キッドも特に何かを言うわけではない。ただ、今しがた表情に出ていた感情を振り払うようにマントを捌くと、自らも歩みだしながら中森を促した。
「――こちらへ。」
 言われたとおり、中森は進む。
 昼間見た屋根はかなりの傾斜があったように記憶しているが、キッドが選んで進む場所は、屋根と屋根のつなぎ目のような場所で、足場が平らだった。
 階下は騒がしい。ダミーを追う人間が屋敷から飛び出していく様子が見えた。ベランダにも数人が出ているが、屋根の上は死角となっており、今のところ気づかれていない。
「気をつけて。」
 言われて、いつものように反発する気にはなれなかった。
 キッドは、おとなしくついてくる中森に、複雑な視線を向ける。だが、二人の関係上、言える言葉がそうそうあるわけではない。とにかく中森を安全な場所に連れて行かねばならないと、目の前のことに意識を集中することにして、注意深く階下の様子を窺った。
 幾らか奴等の動きが分散されたようだと判断する。
 今の時点でキッドたちの居る場所に気づかれていないとはいえ、高い場所から飛び立つのは怪盗キッドの十八番だ。少しでも目をくらますことができればとダミーを放ったが、それも幾度も使っている手である。
 長居は無用だと、中森を振り返った。
「警部、あなたの優秀な部下の方達に指示を。この屋敷は危険なので退避するように――と。」
 キッドは、トントン、と胸元を叩いてみせる。それが中森の胸ポケットに入れられたトランシーバーを指すのだと気づき、中森は言われた通りそれを取り出した。
 スイッチを入れれば、待っていたかのような部下の応答が返る。
 証拠があると言われた部屋を始め、惜しいと思うものは多々あるが、それでもキッドがいうようにここは危険で、中森たちにその危険に対応するだけの準備も、ましてや作戦もない。悔しさに歯噛みしたくなるが、それでも部下の命と引き換えにすることはできない。
 中森は、厳しい声で自分の無事と、全員早急に撤退するようにと指示を出した。
 スイッチを切れば、自然と息が漏れる。
 一旦抜けた力を再び気合で入れなおし、キッドを見やった。
 キッドは頷いて、中森に手を差し伸べる。
 ――瞬間、中森はハッとした。
 これほど近くに寄ったことがないから、今まで考えもしなかった。
 キッドの体格は、中森とは比べ物にならないほどに華奢だったのだと、初めて気づいたのだ。
 中森は何年も前からキッドを追ってきた。だが、この体格は壮年の男のものではありえない。
(これは、むしろ少年のような――…)
 思わずキッドを見上げた。
 モノクル越しに視線がぶつかる。
 一瞬、しまったとでもいうように顔がしかめられたのは気のせいだろうか。
 じっと見ている中森から、キッドはさりげなく視線を外した。
「中森警部、防弾チョッキは?」
「え…?」
 突然投げられた質問に、一瞬反応できなかった。が、一泊遅れて理解して、いや、と慌てて首を振った。
「着ておらん。」
 怪盗キッドの現場に防弾チョッキが必要、という認識に乏しかった。制服を着ている警官は着ている。怪盗キッドが危険ではなくても怪盗キッドの敵は危険だということをもっと考えるべきだった…と、中森は悔やみ、表情を険しくしたが、キッドはまるで気にした様子もなく、そうですか、と答えた。
 次の瞬間、中森の視界は闇色に染まる。
 頭からバサリと掛けられた布の色が黒なのだと気づいたときには、キッドに抱えられ、空へと滑り出していた。









2009.5.2 文月 優

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