見つめる先
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 階上では銃声が続く。床板は通路側からしか開かないようになっているためだ。
 だが、こじ開けられるのも時間の問題で、それも1分あるかないか、という程度だろう。
 中森のいる場所まで駆け下りたキッドは、「失礼」と短く言って中森を押しのけ、扉の周囲を検分し始める。
 黙って場所を譲った中森に、キッドは微かな苦笑と共に告げた。
「警部、申し訳ありませんが、もうしばし休戦です。」
 とにかくここから脱出しない限り、とてもではないが暢気に争っている場合ではない。
 中森にしてみれば『暢気に』争っているつもりは到底ないのだろうが。
「…仕方ないだろう。」
 苦い同意を受けて、キッドはクスリと笑った。
「感謝しますよ。」
 入り口を操作しようとしてボタンを探していたキッドは、次の瞬間、珍しくもあからさまに顔をしかめた。
「くそ、パスワードか…!」
「なに!?」
 キッドの声に、中森が同じく眉を寄せる。
 白いスーツの肩越しに覗き込むと、現れたのは確かに数字のパネルだった。
「パスワード……どれだ!?」
 いくつかの数字がキッドの脳裏を駆け巡る。と同時に、キッドの指先はすさまじいスピードでいくつものパスワードを打ち込んでいく。結果は全てエラーだ。
 候補はいくつかある。だが、全てを試すほど時間の猶予がない。
 そうしている間にも、銃声は止み、階上の床板が無理やりはずされようとしている音が聞こえている。
「まずいな…」
 小さく呟いた言葉に、中森は驚きを隠せなかった。
 いつも中森が目にしているキッドではない。状況が切羽詰っているのは理解できるが、キッドが焦っているらしいことが信じられなかった。
 むしろ中森のほうが落ち着いているかもしれない。ギリギリまで追い詰めたと何度思っても、中森はキッドを取り逃がしてきたから。キッドが逃げられない状況というのが想像できないのだ。当たり前のように、ここからも脱出できるような気がしている。もっとも、そのための策など中森には全くないのだが。
 バリバリと、いよいよ床板がはがされる音が聞こえてくる。
 キッドは、ギリ…と奥歯をかみ締めた。
(くそっ、どうする…!?)
 このままでは、中森共々ここで撃たれてしまう。
 そんなことになれば、青子は幼馴染と共に父親までも失うことになってしまう。それだけは何があっても避けなくてはならない。
(どうする…!!)
 快斗は思わずキッドであることも忘れ、ドンッと力任せに扉を叩いた。
 ――と、ウィ…ン、と軽い機械音が辺りに響いた。
「え…?」
 驚いて手を止めたキッドの前で、閉まっていた扉がゆっくりと開きだす。
「これは…」
 中森の呟きに、同じく目を丸くしていたキッドが、ゆっくりと口元を持ち上げた。
「警部、優秀な部下をお持ちですね。」
「あいつらか…!」
「ええ、扉が閉まった後、本棚にあったスイッチをもう一度押してから逃げたのでしょう。」
 ただ、慌てていたためか、作動するはずの装置に本か何かが引っかかり、止まっていたのだ。
「助かった!」
 中森の声に、キッドは表情を引き締める。
「安心するには早いですよ、警部。」
 階上では、最後に大きな音を立てて何かが放り出される音がした。
 怒鳴り声と共に、複数の足音が駆け下りてくる。途中で階段を折れれば、中森とキッドは彼らの射程範囲に入ってしまうのだ。
「早く開かんか…!」
 背後を振り返り中森が唸るが、扉はウィーンという音と共に一定の速度でしか開かない。
 かろうじて人が一人、という広さになった瞬間、キッドは中森をそこへ押し出した。
「警部、外へ!!」
 続いてキッドが走り出すのと同時に、上から降りてきたスネイクの仲間の銃弾が、そのすぐ横を通り過ぎた。
 トランプ銃で数発応戦し、通路から部屋へと飛び出すと、今度は頭上から声がする。
「おい! ここからも行け!」
 ガコン、という音が響く。
 廊下へと向かう中森の背中を追うように部屋を駆け抜けながら、キッドは天井を見上げた。
 彼らが使おうとしているのは、キッドが先程屋根裏からこの部屋へ降りるために使ったのと同じ穴だ。
(こんなことならあんな穴開けるんじゃなかったぜ!)
 舌打ちしたい気持ちで、中森に続いて廊下へ飛び出した。
 警察は、中森の伝言を聞いて屋敷から撤退しているようだ。門の辺りは騒がしいが、既に母屋での物音は絶えている。
 警察側の応援は期待できないと判断し、キッドは中森に階段を下りずに左の廊下を進むよう示した。
 背後の扉を閉じ、簡単には開かないように素早く鍵に細工する。
 ドン、ドン、と扉に体当たりした人数を頭の中で把握しながら、快斗は眉をしかめた。「一体何人来てんだよ!」
 通常スネイク達が現れるときは、せいぜい3、4人なのに、明らかに今日はそれよりも多い。
 廊下側の階段の上からも足音が聞こえる。1人であることから、それがスネイクだろう。
 キッドは中森に並ぶと、その腕を掴んで押し留め、右側の部屋に飛び込んだ。
 奴等が廊下へ出てくる前に、すぐさま扉を閉める。
「キッド!?」
「しっ、静かに。」
 明かりは点いていない。ただ、月明かりで外が明るいせいか、部屋の中の様子は十分に見てとれた。
「ここは…?」
 辺りを見回す中森を促し、キッドは左の壁際に置かれたローチェストへと歩み寄る。
 チェストの引き扉を開けると、大人が一人屈んで入れる程度の棚の中を覗き込みつつ呟いた。
「隠し通路がいっぱいで、助かるといえば助かる、か…。」
「おい?」
 背後から呼びかけられて、キッドは一旦棚に突っ込んでいた顔を出す。
『キッドはどこだ!』
『半分は階下へ降りろ! 残りはこの階を探せ!』
 扉をこじ開けたのか、一斉に廊下が騒がしくなる。スネイクの声に続いて、廊下の向こうからは扉が開かれる音が聞こえた。
 一部屋一部屋調べながら進むか、まずは全ての部屋のドアを開けるか。
 後者ならば一刻の猶予もないが、いくらなんでも全ての部屋を見張ることができるだけの人数はいない。おそらくは前者だろう。キッドは立ち上がり、中森に棚の前を譲った。
「警部、ここから行くと裏庭のプールの向こう側へ出ます。一番近い西門から抜けて南に回れば警察と合流できるでしょう。」
 中森は、その言葉からキッドが共に行くつもりではないことを理解する。
「貴様はどうする。」
「あなたが心配することはありません。奴等は私のお客様ですからね。もっとも、呼んだ覚えはありませんが。」
 それはわかる。中森とて知っている。
 キッドの現場に度々何者かが現れ、キッドの命を狙っているということ。
 自分のお客だと言うからには、おそらくキッドは彼らを引き付けて中森を逃そうとしているのだろう。
「…あいつ等は何者なんだ。」
 唸るように尋ねた中森に、キッドはどこか困ったような笑みを見せた。
「今は、まだ…。」
 答えられることがない。キッドである快斗自身、奴らが何者なのかを明確に知っているわけではないし、そもそも説明しているような時間はない。
「いずれまた。」
 言うと、中森はあきらめたように息を吐いた。
「貴様は大丈夫なんだろうな?」
 尋ねられて、キッドは今度は柔らかく苦笑した。
「ええ、大丈夫ですよ。私は確保不能の大怪盗、ですからね。」
 ウインクと共に告げると、「ふん」と短い声が返った。
(ったく、ほんとお人好しだよな。なんで怪盗の心配なんかしてんだか。)
 でもそれが中森なのだろう。
「巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。…さぁ、早く。」
「ああ。」
 中森がチェストの中に入ろうと身を屈める。
「階段ではなく滑り台のようなものですから、身体を寝かせて滑ってください。」
「わかった。」
 近づいてくる慌しさが、もう猶予がないことを伝えている。 
 中森はうなずくと完全に棚に入り込み、滑り台だというそこに脚を伸ばした。
『何をもたもたしている! 片っ端から部屋を開けろ!』
『は!』
 キッドが、今まさに中森の背中を滑り台へと押し出そうとした瞬間。
『隠し通路も片っ端からひっくり返せ! 出口は固めてるんだろうな!?』
「!!」
 ――その声が聞こえ、キッドはピタリと動きを止めた。
 一気に全てが繋がり、現状を理解する。
(そういうことか…!!)
 理解すると同時に、滑り出そうとしていた中森の腕を逆に掴み、力任せに棚の外へと引っ張り出した。








2009.4.19 文月 優

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