見つめる先
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郷田と警備員が、警官達に拘束されて部屋から連れ出されていく。
その頃には、屋敷の中で聞こえていた警官達と警備員の叫び声や物音もかなり静まっていた。
部屋に残されたのは、2、3名の警官と中森、そして怪盗キッド。
ゆっくりとキッドに向き直った中森に、キッドはふっと微笑んだ。
「中森警部、休戦ついでに少々付き合って頂けますか。」
中森はカッと顔を赤くする。
「貴様と休戦した覚えはなぁ〜い!!」
全身全霊で叫んで、ぜいぜいと肩で息をした。
(あらら、血圧上がっちまったかなー?)
できれば今すぐ、確実に郷田の不正の証拠を渡したかったのだが、カードを残すしかないか、と、キッドは考える。
――が、息を収めた中森は、面白くなさそうに低く付け足した。
「…なんだ。」
思わず、キッドはクスリと笑ってしまった。
(うーん…。なんか、青子みてぇ。)
親子だからか、やはり似ているのだろうか。意地を張っても怒っても、結局とてもまっすぐな気性が好ましい。
サラリと純白のマントをさばくと、差し込む月明かりで顔が見えないように気をつけながら、視線で中森を促した。
中森の後ろで、部屋に残っていた部下達が顔を見合わせる。その様子を難しい顔をしてチラリと見やった中森は、小さく息を吐く。迷う素振りもなく彼らを促し、キッドに続いた。
郷田が立っていた壁とは反対側の書棚の前に立ったキッドが、書棚から本を数冊抜き取って、空いたスペースに探るように手を入れる。
「なんだ?」
「隠しボタンですよ。」
サラリと答えると、ガコンという音と共に本棚が横にスライドする。警官の一人が慌てて避けた。
「お約束な場所ですがね。」
目の前に現れた扉。本棚と同じ方向にスライドさせると、たいした力もいらずに開いた。
中森や警官達が目を瞠(みは)る。
「こんなものがそこら中にあるのか、この屋敷は!」
「…ええ。」
言葉少なに答えて、キッドはチラリと警官達を見た。
「明かりは?」
「は、はい! あります!」
勢いの良いキレのある返答に、キッドは密かに苦笑した。毎度毎度追っても追っても霞(かすみ)のように逃げていく怪盗キッドが、最低限の距離は空けているとはいえ、これほど近くにのんびりと存在していることに、逆に緊張しているのかもしれない。彼らが慌てて懐中電灯を取り出す様子に、キッドは頷き、視線を前に戻した。
「ではこちらへ。右手に折れると上り階段があります。」
真っ暗で小幅な通路へ、キッドは懐中電灯の明かりに頼ることなく、するりと踏み込んでいく。
キッド――快斗だって人間だ。明暗への順応力はある程度あるが、暗闇に突然入って視界が利くわけではない。ただ、その通路は準備の段階で何度も通った場所だった。
そうとは思わない中森は、相変わらず厄介なヤツだと小さく息を吐く。自らも懐中電灯を取り出し、部下の前に立ってキッドに続いた。
「郷田が何をしていたかは?」
尋ねるキッドに、中森は小さく首を傾げる。
「ああ……ある程度は掴んでいるが、証拠がな…。」
キッドは頷く。
「盗品の宝飾品や美術品については、この屋敷を捜索すれば出ると思いますが…」
「それなら今頃部下がやっている。」
「ええ。」
警戒心からか、物珍しさからか、中森が持つ懐中電灯は、足元のみではなく壁際を照らし出したりする。だが、それがキッドの顔に向けられることはなかった。
(休戦中ってのは、一応冗談だったんだけどな…)
快斗はひっそりと苦笑する。本当に、お人好しというか、実直というか…と思いながら、ちょうど1階分の階段を上ったところで足を止めた。
軽く手を伸ばして、すぐ頭上にある天井に触れる。その向こうは、キッドが郷田の部屋に飛び降りる前にいた屋根裏の部屋だった。
「この部屋に、それ以外の件で目に付いた証拠を揃えておいたので」
「なに!?」
途端に声を強くした中森に、振り向くわけではないのだが、キッドはふっと口元だけで微笑んだ。
「幾らかは、お役に立つと……」
だが、穏やかに続けられたのはそこまでだった。
「キッド?」
唐突に言葉が途切れたキッドをいぶかしみ、中森はキッドの後姿を見上げた。その中森の声を、キッドは急に空気を張り詰めさせ、
「しっ…」
と、短く咎めた。
キッドの様子に、中森が顔をしかめ、ピタリと足を止める。その感覚は理屈ではなく、ただ危機を知る者としてキッドから中森へと伝染したようなものだった。
中森は戸惑う部下達を振り向き、視線で留める。
改めて、階段の数段上に立つキッドを見上げ、低く抑えた声で尋ねた。
「どうした。」
キッドは厳しい表情のまま、天井を、その向こうにある部屋を見透かすようにして睨みつけていた視線を、一瞬だけ中森に向けた。
「……歓迎できないお客様のようです。静かに、早く降りて下の部屋へ。」
「なに…?」
「話は後です。今は早く…!」
その声に、いつも中森が対峙したときのような余裕はない。それ以上のことは何もわからなかったが、中森はすぐに部下を振り返った。
「戻れ、急ぐんだ!」
抑えた声で命じる。と、彼らは一瞬顔を見合わせたが、すぐに頷き、階段を駆け下りた。
「警部も、早く。」
「ああ。」
頷き、階下へ向き直りながらも、中森はキッドを振り仰ぐ。
「中の資料は!?」
「できる限りは私が持ち出しましょう。それ以外は、諦めてください。」
キッドは早口で、きっぱりと答える。資料よりも大切なものがある。
一刻も早く中森をこの融通の利かない隠し通路から外に出さなくてはならなかった。
上の部屋には、この隠し通路を閉じるスイッチがある。キッドがここに踏み込んだと奴らに気づかれれば、十中八九、そのスイッチで下の入り口を閉められてしまうはずだった。
中から開けられないわけではないが、開けようとしているうちに彼らが踏み込んでくることは間違いない。
だから、と、キッドは再び中森を急かそうと口を開く。
だがそれよりも、あからさまな足音が近づき、キッドの頭上で止まるほうが早かった。
(くそっ遅かったか!)
舌打ちしたいのを抑えて、中森を振り返る。
「早く降りてください、警部…!」
中森が、キッドを気にしながら慌てて階段を駆け下り始めるのと、階下で入り口が閉まり始めるのと、そして中森の部下の慌てた声が聞こえるのが同時だった。
「随分お粗末な場所から登場だな、怪盗キッド。」
(その声、スネイクか!?)
キッドは、中森が間に合うことを願う。微かに伝わる中森の部下の様子から、まだ階下の部屋に奴らは踏み込んでいないようだった。
奴らとて、そうそう警察と接触はしたくないのだろう。中森が間に合いされすれば、彼らは無事に屋敷内の警官達と合流できるはずだった。
(間に合え…!!)
キッドを追うことで鍛えられた中森の足は、年齢を思わせない健脚だ。
だがそれでも、階段を折れ、あと少しというところで視界に入った入り口は、既に人が通れる広さではなかった。
「な、中森警部…!?」
困惑したような警官達の声が聞こえる。
「ちっダメか…!」
中森の舌打ちが聞こえて、キッドは自らも階段を駆け下り始めた。
おそらく中森の安全を確保するためには、キッドが階上に出たほうがいい。だが、出口になる床板の上にスネイクが陣取っている状況では、とても無理だろう。
階段へと踏み出した瞬間、それまでキッドが居た出口である床板の真下には、ドンドンと銃弾が打ち込まれる。
出口はもう、階下の一箇所しか残されていない。
「警部、警官達を逃がしてください…!」
彼らが残っていれば、キッド達が隠し通路から脱出したときに巻き込んでしまう。
駆け下りながらキッドが叫ぶのと、中森が
「おまえらっいいから他の奴等を連れて一旦屋敷を出ろ! 応援を呼べ!」
と叫ぶ声、そして、階下の扉が音を立てて閉まるのが、ほぼ同時だった。
2009.4.16 文月 優