見つめる先
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 部屋の外は騒がしい。相変わらずそこかしこで郷田が雇った屋敷の警備員と警官達が衝突しているようだった。
 だが、キッド達がいる部屋の中は、しんと静まり返っている。
 扉側に中森、奥の壁際、窓のすぐそばに郷田、そして窓の脇に怪盗キッド。中森と郷田、郷田とキッドの間には1人ずつ郷田の警備の者がいる。キッドは窓の前を避けて壁を背にして立っているため、窓から差し込む月明かりと庭の照明が彼の顔を逆光にして隠していた。
 しばらく睨み合っていたが、やがて郷田がふっと浅い笑みを漏らした。いまさらのように構えていた身体を起こして姿勢を正す。それでも、潜り抜けてきた修羅場の数なのか、それなりに自らを取り繕うことには成功していた。
「……どういうことですかな、中森警部。私は警察の警備をお断りしたと思うのだが。」
 と、中森も負けじと郷田を睨み返す。
「こちらもお聞きしたい、郷田さん。その胸ポケットから覗いているものは一体何ですかな。」
 その言葉に、郷田はハッと視線を胸元に落とす。
 先程キッドがカードで切り裂いた胸ポケットだ。すぐにそこから何が見えているのかに思い至り、郷田は内心で舌打ちした。引きつった笑みを浮かべ、指先でそれをつついてみせる。
「…これはオモチャですよ、中森警部。護身用に、案外役に立つものでね。本物のはずがないでしょう。」
 だが、中森はそれを鼻で笑った。
「ふん、馬鹿にしてもらっちゃ困るんですよ、郷田さん。我々警察は本物を毎日見ているんだ。それが偽物かどうかくらい、すぐにわかる。」
 と、郷田が再び口を開く前に、それまで黙っていたキッドがクスリと笑った。
 場違いなほど自然体なそれに、郷田が気色ばむ。
 郷田よりはキッドの態度に免疫がある中森は、いつのまにか優先事項がキッドから郷田に変わっているようだったが、それでもギロリとキッドを睨んだ。
 キッドはわざとらしく肩をすくめて両手を挙げてみせる。
 そして、ゆっくりと二人に微笑んだ。
「――では、こうしましょう。」
 挙げていた手のうち、右手を閃かせて取り出したのはポケットカメラ。パシャリという音と共に、フラッシュが一瞬あたりを照らした。次の瞬間には左手の指先が動く。そこからシャッと音を立てて飛んだ透明な糸には、先端に小さなフックがつけてあり、あっという間に郷田のポケットから問題の拳銃を攫った。
「な、貴様…!」
 郷田の叫びに口元を上げたキッドは、攫った拳銃とカメラを真っ白なハンカチに包み込んで中森へ放り投げる。中森が、反射的に出した両手でそれを受け止めた。
 目を丸くしてキッドと手の中の物を見比べる中森に、キッドはふっと空気を和らげた。
「いりませんか、警部?」
 尋ねると、中森はハッと我に帰ってそれを握り締めた。
「……いや、感謝する。」
 ずしりと重みのあるそれは、オモチャではありえない。
 中森は郷田に向き直り、ギッと睨みつけた。
「郷田茂、銃刀法違反の現行犯で逮捕する!」
 声を上げた警官隊が突進する。郷田との間にいた警備員に2、3人が吹っ飛ばされたが、次々と飛びつく警官達の頭数が勝った。ぐぇ、と鈍い声を上げて警備員がつぶされる。続けて郷田に向かう警官が郷田を拘束する前に、警備員が郷田を引き連れて窓へ向かう。
「おっと。逃げられると思っておいでで?」
 ジャカリとトランプ銃を取り出したキッドに、警備員の死角に隠れた郷田がニヤリと笑った。
「ふん、捕まえられるものなら捕まえてみるがいい!」
 ポケットにつっこんだ手をこぶしにして突き上げる。
 手に握られたスイッチに、今にも飛び掛ろうとしていた警官達の動きがピタリと止まった。
「察しがよくてなにより。そのまま動かないでいてもらおう。」
「郷田! ここを出ても外には警官がいるんだぞ!」
 唸る中森に、郷田は余裕を崩さない。
「それはご苦労なことですな、中森警部。」
 郷田はスイッチに親指をかけて笑う。企業経営者として紳士の仮面をかぶる男でもあるが、はっきりと卑屈さが出た笑みだった。
「キッド、残念だったな。」
 トランプ銃を構えたまま郷田を見ていたキッドは、言われて一度銃を下ろした。
 警備員の背後で、キッドからはやや距離がある窓を開け放つ。
「ああ、一応お知らせしましょう。このスイッチはこの母屋と庭に仕掛けた爆弾ですよ。中森警部、呆けていないで警官達を避難させなくてはまずいのでは?」
 無駄な犠牲を出したくなければね、と、勝利を確信した笑みを浮かべて、郷田は窓からベランダへと出ようとする。警備員が拳銃を取り出して室内を威嚇している間に移動するつもりなのだろう。
 中森はギリギリと歯軋りして郷田の背中を睨んだ。

「――郷田さん。」

 キッドの声に、視線だけで郷田が振り向く。
 先ほど下ろした手を再び上げたキッド。その指先には、赤く輝く宝石があった。
「なに!?」
 ふっとキッドは微笑む。
「ご心配には及びませんよ。私は怪盗ですから、予告した獲物は確実に頂きます。」
「バカな…!それはここに…っ」
 郷田は確かめるように胸元に手を当てる。指先に確かに石の感触があって、一瞬何が起きたかわからないという顔をした。
 キッドがニヤリと笑う。
「おや、これは失礼。本物はそちらでしたか。」
 宝石を掲げていた指先を器用にパチンと鳴らす。
 郷田の胸元でボワンと音を立てて小さく煙幕が膨らんだ。
「では本物を頂きます。あなたには似合いのイミテーションを贈りましょう。」
 郷田の指先には変わらずに石の感触。キッドの指先にも変わらずに宝石があったが、当然キッドは今の一瞬で2つを入れ替えていた。
 郷田は胸元にある石が本物か偽者かの判断が付かず、困惑したようにそれを手に引っ張り出す。その隙に、キッドはついでとばかりに先ほど使ったワイヤー付きのフックを使って郷田の手にあったスイッチを取りあげた。
「さて、郷田さん。あなたの切り札は仕掛けられたこの爆弾ですか? それとも、外へ逃げると見せかけて向かうつもりの、この屋敷内の地下から敷地外へつながる隠し通路でしょうか。」
 言いながら、キッドはもう一度トランプ銃を放ち、警備員の拳銃を飛ばす。ふわりと音もなく飛んで、宙にあるその銃をキャッチすると、そのまま警備員の前に着地し、低く沈んだ体勢から、とっさに身構えた警備員を蹴り飛ばした。
 警備員は、先ほど彼らを捕まえようとしていた警官達の中心へ飛んでいく。
「キサマ…!」
「動かないで頂こう。」
 キッドがガチャリと音を立てて構えるのは、奪った拳銃ではなく、愛用のトランプ銃のほうだ。そして、先ほどの郷田を真似るように、もう片方の手にスイッチを掲げ持った。
「慌てなくても、このスイッチはあなたの代わりに私が押しましょう。」
「えっ!?」
 唖然としたのは中森だ。まさかキッドが、という表情でキッドを見た中森に、キッドは苦笑した。
 中森は、やっぱりお人好しだとキッドを演じる快斗は思った。キッドを捕まえると息巻きながら、それでも根本的にはキッドを悪人ではないと思っている。その信頼は、嬉しくもあり、少しだけ苦しくもある。
 そんな思いを内包した笑みは、だがそうと気づかれることなどない、中森にとってよく知ったものだった。
 たとえ口元しか見えなくても、気配で伝わるそれに、中森は妙な安心感を覚える。
 それ以上何の前触れもなく、キッドはおもむろに手にしたスイッチを押したが、今度は慌てたりしなかった。
 キッドの思惑がわからずに困惑したのは郷田のほうだ。
 その彼の顔色は、次の瞬間に劇的に変わる。
 母屋と庭で起こるはずの爆発音は、裏門の近くで響き、そのまま連続するドンドンという音と共に、山道を辿るように煙の道ができていくのが郷田達がいる部屋の窓からも見えた。
「まさか…!」
 叫ぶ郷田を守る警備員ももういない。窓際に立ち尽くす郷田に、キッドは淡々と告げた。
「ご期待通り、爆破されたのはあなたの大切な逃げ道ですよ。」
「バカな、なぜ貴様が……!」
 キッドはそれには答えず、ただ無言でほんの少しだけ肩を持ち上げてみせた。
(答える必要ねーだろ、んなこと。)
 下調べは必ずしている。どの程度まで調べられるかで、成功か否かが決まるといっていい。郷田は、油断したのだ。地下通路までバレることはないだろう、と。
「ちなみに、もう一本の通路も先程爆破させていただきました。――さて、中森警部。」
 警部に視線を向けたキッドに、中森は無言で視線を返す。
「どうします? 私を捕まえますか、それとも郷田を?」
 笑みを含んで尋ねたキッドに、中森は忌々しげに舌打ちをすると、キッドを睨みつけた視線を、そのまま郷田に移した。
「決まってるだろう! どちらも捕まえてやる!! だが、まずは郷田だ!」
 ふん、と鼻を鳴らす。
 部下の警官達に向けた視線に、訓練された警官達はすぐさま反応する。
「逮捕だ〜〜〜!!」
 部屋にこだましそうな大声を上げ、数名の警官がいっせいに郷田に飛び掛った。





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