<第二章>
日が、暮れかけていた。
快斗の足元からは、長い影が伸びている。
駅から自宅へ向かう住宅街の中の路地。
快斗の足取りは重い。
最近、仕事が立て込んでいた。
怪盗キッドを演じるための下調べ。
屋敷の構造から、獲物の経歴、持ち主のバックグラウンド。
仕事を控えると、快斗は途端に忙しくなった。
今日も、高校から仕事の準備に一直線に向かって。最近何度目かの、青子の誘いを断った。
寂しそうに揺れる目に感じる罪悪感。
きっと、怪盗キッド専任の警部である、青子の父も忙しいはずで・・・。
そこまで考えて、快斗は足を止めた。
空は、夕闇。透明な青。深くて、優しい。
夕日は地平線の彼方へと姿を消し、反対の地平線から、ゆっくりと夜に染まる。
快斗は、少し考えて、方向を変えた。
歩き出しながら、言い訳を考える。いつだってたいした言い訳などない。
家を訪ねるのに理由を考えるようになったのは、いつからだろう。
快斗は、もう随分前だ。
だが、青子は今でも、理由なく快斗の家へと訪ねてこられるようだった。
何が、違うのだろう。
考えながら、一歩ずつ運ぶ足が重くて、うんざりする。
青子の家に辿りついたときには、足だけではなくて、体中が疲労を訴えていた。
インターホンへと手を伸ばす。
門の脇の灯りの下へ凭れてぼんやりしていると、まもなく青子が玄関を開ける音がした。
「あれ、快斗?」
呼ばれて、快斗は顔を上げる。
ゆっくりと身を起こした。
「よぉ。」
「どうしたの?」
「・・・・・・別に。」
考えた言い訳は、なんとなく使う気がしなかった。
どうしようかと思考を働かせる。
だが、快斗が言葉を発する前に、青子がサンダルをつっかけて、快斗のいる門までやってきた。
「入りなよ、快斗。遊びに来たんでしょ?」
遊びに。
それでいいのかと、ほっとする。
そんな自分がおかしくて笑えた。
理由が必要なんて、誰もそんなことは言っていないのだ。
わかっているのにそんな気がしてしまうのは、なぜなのだろう。
「オメー夕飯の準備は?終わってんの?」
ポケットに手を入れて、快斗は青子の後に続く。
青子は、軽い足取りで玄関まで走って、ドアを開けた。
「今してたとこだよー。はい、どうぞ。」
「ああ・・・サンキュ。」
快斗は、いつも通り、リビングに向かう。
そこで、カタ、カタ、という音を聞いた。
鍋の蓋が立てる音に似ている。
「・・・青子、火に鍋掛かってんじゃねぇか?」
「あ!そうそう、今ねおでん煮てたの!快斗も食べる?」
おでんは、ちょっと季節が早いんじゃないかと思ったが、別に夏に食べてもいいものなのは、快斗もわかっている。
「・・・ヘンなもん入ってないなら食う。」
「ヘンなもん?」
「・・・サカナ。」
「ああ!」
そっぽを向いて答えた快斗に、青子はぽんと手を叩きそうな表情をして、おかしそうに笑った。
「大丈夫だよ。待ってて、持って来る。」
キッチンへと消えていく後姿を見送って、快斗はダイニングテーブルのイスに腰掛ける。
テレビも何もついていない部屋で、聞こえる物音はどれも青子が立てるもの。
知らず、耳を澄ませてしまう。
すぐに青子が戻ってきた。
「はい、快斗。」
トンと目の前に置かれた器には、大根と卵とジャガイモと。
「それなら大丈夫でしょ?」
「・・・多分。」
そういえば、出汁はあまり気にしたことがない。
青子もそれは気づいているらしく、快斗の前のイスに座って口を開いた。
「良かったね、快斗。カツオ出汁のお料理が食べられないってことがなくて。」
楽しそうににこにこしている。
快斗は、ちらりと上目遣いに見やって、箸を手に取った。
「これは昆布だろ。」
「うーん、まぁだいたい。」
「オメーは?食わねーの?」
大根にかぶりつきながら言うと、青子は小さく小首を傾げて答えた。
「ん。青子はお父さんと食べるから。」
ちょっと妬いてしまいそうな自分に、快斗は慌てる。
知らん顔で、話を逸らした。
「・・・そういえばさ、青子、来週空いてる日あるか?」
今週いっぱいで、一応仕事はひと段落するはずだった。
尋ねると、青子が目を丸くする。
「どうしたの快斗?」
「どーゆー意味だよ。嫌なら別にいいよ。」
誘いを断ってばかりで、悪いなと思ったから、なんていう理由が用意されていたのだけれど、自分でもそれは建前だとわかっているだけに、口にしづらい。
深く追求せずに、誘いに乗って欲しかったりする・・・が、失敗だろうか。
と、青子が、膨れた快斗を見て、明るい声を立てて笑った。
「空いてるよー。いつでも!どこか行くの?」
ほっとする。
「まぁ・・・それでもいいけどよ。」
別に快斗は出かけなくてもいいのだ。一緒に居られれば、それで。
じゃあねぇ、と楽しそうに考えている青子を、快斗はおでんを頬張りながら眺める。
しばらく考えていた青子が、ま、いっかと呟いた。
「・・・何が。」
「だから、出かけなくてもいいかなって。家でおしゃべりしてよう?」
「・・・なんで?」
珍しい。青子がそんなことを言うなんて。
いつもなら、ここぞと快斗を連れまわすのに。
けれど、青子はふっと視線を緩めて、快斗を軽く覗き込んだ。
「快斗、最近疲れてない?」
「へ?」
思わず箸を止めて、自分を指差した。
青子が、にこにこしたままで頷く。
「うん。違うの?」
無邪気に尋ねられて、快斗は返答に詰まった。
「・・・別に、んなことねーよ!」
無理やり、明るい声を出す。
と、青子がクスリと笑った。
「無理しちゃってー。」
「誰がだよ!なんでもねーって言ってんだろ!」
「快斗のなんでもないはアテにならないんだもん。」
「んだとぉ?」
意味のない言い合い。
それが最高だなんて、どうかしてるかもしれない。
それでも、幸せで。
だから、少し怖い。
青子は、もう一人の快斗を知ったら、どうするだろう。
少なくとも、もうおでんはくれないだろう。
「青子、もう少し食いたい。」
「おでん?」
「おお。うまいぜ?」
お弁当事件の後、ようやく言えるようになった。おいしいというひと言。
青子が、嬉しそうに笑った。
「いいけど、快斗、おばさん夕食作って待ってるでしょ?」
「どっちも食う。」
「えぇー?あ!じゃあさ、明日何かお弁当に入れて行ってあげるよ!」
「お、まじ?」
しょうがないなぁ、と、言いながら、青子が頷く。
んじゃよろしくと約束を取り付けると、快斗は腰を上げた。
そろそろ帰らないと、快斗の母が待ちくたびれてしまう。
「帰る?」
「ああ。おでんサンキュな。」
「うん。気をつけてね。」
玄関に向かい快斗を、青子は見送るためについて行く。
靴を履いて振り向いたとき、快斗は、突然青子を引き寄せたい衝動に駆られた。
好きだと言ったら、青子はどうするだろう。
自分でも怖くなるほどに、青子を必要としている瞬間が、快斗にはある。
結局、言えるわけがないと、いつもと同じ結論に落ち着くのだけれど。
近づけない、これ以上。
近づいて・・・知られたくない。
「・・・じゃ、な。」
「うん、また明日ね。」
屈託なく笑う青子。
その陽だまりのような暖かさは、知り合ったときからずっと変わらない。
快斗が変わっても、青子は・・・。
適当に手を振って、快斗は青子の家を出る。
快斗が帰る場所は、どこも、いつでも暖かい。
だからきっと、快斗は間違えずにいられる。
見つからない探し物にうんざりしても、また、歩き出せる。
空には、ぽっかりと丸い月が浮かぶ。
外灯もいらない程に明るい月夜の下、快斗は空を見上げて歩く。
なぜか、無性に泣きたくなって。
そんな気持ちをごまかすように、駆け出した。
とても久しぶりの書き下ろし更新…。
のんびりですが、次のひと段落まで進みます〜。
2009.3.14 ふみづきゆう
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