<第一章>
自分が変わっていっていることを実感できるときがある。
それほどのペースで変化していく日々は、人生の中でも、そうそうあるものではないだろう。
その貴重なときの真っ只中に、今、快斗は居た。
「黒羽くん、お疲れのようですね。」
机を挟んで繰り広げていた青子との会話を、甘い響きながら、それさえも嫌味度をアップさせていると快斗が常々思っているその声で遮ってくれたのは、例によって白馬だった。
「あ〜?テメーの方がよっぽど疲れてそうじゃねーかよ。」
無視したいが、青子の手前そういうわけにもいかず、快斗はめんどくさそうに片眉を上げて応戦する。
キッドの予告日が近づくと、いつもこうだった。
「そうですか?僕は君と違って、疲れていても隠す必要がありませんからね。」
そう言って、意味ありげに笑う。その態度が癪に障るのはいつものことだ。
もっとも、そこでむっとした顔をしたりはしない。
「はっ、おれは隠してんじゃなくて、ホントに元気なの!」
疑わしそうな白馬の視線を、知らん顔で受け流すのにも慣れている。
「そうよね〜、快斗ってばお昼休みにお弁当ふたつも食べてたし!」
青子が横から入れるワケのわからない合いの手にも・・・慣れている。
「あんだよ、オメーが作りすぎたっつーから片付けてやってたんだろ?」
じとっと睨むと、青子がむっとした顔で横を向いた。
「別に青子頼んでないもんっ!」
青子が膨れた顔は好きだった。
そんな顔をするから、ますますからかいたくなってしまうのだと、快斗は密かに思う。
「ほぉ〜。」
にんまりと笑った。
「な、なによぉ?」
心持ち快斗から身を引いた青子に、ずいっと快斗は顔を寄せて言った。
「ねぇ快斗、今日ね、青子お弁当作りすぎちゃったんだけど、どうしよ?・・・っつーのは、食べてってのとは違うのか?」
かぁっと青子の頬が赤くなった。
「た、食べてとは言ってないじゃないっ!」
でも食べてほしかったんじゃねぇの?・・・とは、さすがに聞けない快斗である。
もしかして、本当は作ってきてくれたとか?という期待が、間違っていると知るのは怖い。
それを言えない代わりに、快斗の口をついて出たのは、相変わらずの言葉だった。
「素直じゃないねぇ、青子ちゃん♪」
むっとして、青子が睨んでいるのがわかる。
もうやめておけという自分の声が聞こえながら、途中で止められないのも、いつものことだった。
「青子の弁当なんて、おれが食わなきゃ誰が食ってくれるわけ?」
そんなこと、思ってもいない・・・と、言いながら頭を抱えたくなる。
きっと、青子の弁当を食べたいと思っている男は、たくさんいる。
いつも迷わず自分に弁当を差し出してくれる青子が、本当はすごく嬉しいくせに。
けれども、そこで素直になれる快斗ではなかった。
目の前の青子が、本気で怒り出していることに気づいているくせに、口は止まらない。
「作りすぎもほどほどにな〜♪」
止めたいのに、止まらない。
だが、次の瞬間、暴走する快斗の言葉は、一番不本意な形で止められた。
「相変わらず失礼な人ですね、黒羽くん。」
快斗は、ピタリと固まる。
(最悪・・・!)
白馬がいたことを、忘れていた。
快斗は、思わず自分を呪う。
ここから先の展開は、既に見えていた。
「中森さん、こんな人にあなたの作ったお弁当を差し上げる必要はありません。」
それはもう、快斗の頭を瞬時に流れた予想と、全く同じ台詞だった。
快斗は、忌々しげに白馬を睨み上げる。
青子は、まだ怒ったまま、けれども助けを求めるような戸惑いをその目に称えて、ちらりと快斗を見やった。
白馬の台詞は続く。
「もし今度作りすぎてしまったときは、ぜひ僕に。僕は黒羽君と違って、おいしいものはおいしいと言いますからね。」
青子の視線が痛かった。
白馬の言葉に苛立つ。
オマエに食べさせる弁当はないのだと言ってやりたかったが、先程暴言を吐いた手前、いや、そうでなくとも、そこまで言う勇気はなかった。
だけど、青子の弁当を取られるのは嫌だ。
子供っぽい独占欲かもしれないが、青子は特別なのだ。
それに、白馬のおかげで、図らずも青子の真意が見えてしまった。
やっぱり、あの弁当は、青子が快斗にくれようとして作ったものだったのだろう。
そうでなければ、青子はあんなに悲しい顔をしない。
(余計なこと言いやがって・・・!)
快斗は、白馬を睨むが、白馬は鼻で笑う。それがものすごく快斗の勘に触った。
けれど、知っている。
一番余計なことを言ったのは、自分だ。
それも青子に、心とは裏腹な言葉をぶつけて、傷つけた。
言いたいことを言い終えた白馬が口を噤むと、そこには重い沈黙しかなかった。
居た堪れず、快斗は席を立つ。
正面に座っている青子が、すがるような眼差しを快斗へと向けた。
答えたいのに、答えられない。
やっぱり、快斗は素直になれない。
(っきしょ・・・。)
唇を噛み締めたい思いを、意地で隠して、快斗は白馬へと冷めた視線を向けた。
「・・・テメーの弁当のでかさで、他のヤツのなんて食えんのかよ。」
我ながら情けない台詞だった。
専属料理長が作るという白馬の弁当は、確かにでかいし中身も充実しているが、いくらなんでもこの台詞はないだろうと思う。
だけど、他に浮かんだ台詞は、どれも口にすることができなかった。
白馬から呆れたような目を向けられて、快斗は視線を背ける。
視界の端に泣きそうな顔をした青子が映って、快斗は益々追い詰められる気がした。
悪いと思っているのに、謝れない自分が嫌になる。
「青子も、あんま作り過ぎんなよ。材料、もったいねーだろ。」
これもまた、あんまりな言葉だと自分で思った。
自分の足元に、せっせと自ら墓穴を掘っているようだ。
くしゃりと青子の顔が歪む。
快斗は、どうしたらいいのか、わからない。
せめて、この件で、白馬からキッドを絡めた勝負をふっかけられないように、と、快斗はもう、そこを逃げ出すしかなかった。