今日の次には明日があって、明日の次に明後日があって、そうして繰り返す日々の先に、未来がある。
すべてが連続しているはずなのに、どこから何が変わっていくのだろうか。
それは何かを切っ掛けとして突然変わるものなのかもしれないし、ほんの少しずつ、自分でもわからないくらいにゆっくりと変化するものなのかもしれなかった。
ただ、人は必ず変わっていく。
どんなに抗ったとしても、多分、それは止められないこと。
それならば、変わることに前向きでいたい。
過去に囚われず、いつだって過去よりも素晴らしい未来を作ってやるのだと、そんな気持ちで生きていたい―――。
「ただいま〜。」
玄関を開けると、キッチンから「おかえり〜」と声が響く。
快斗は廊下へ上がり、鞄を抱えたままでリビングへの扉を開いた。
「母さん、今日の夕飯なにー?」
「お魚♪」
この会話は、もはや毎日のお約束である。
ハンバーグだろうがシチューだろうが、とりあえずは「お魚♪」と言われるのである。
ちなみに10回のうち1回くらいは本当に魚なので、快斗は、9割方嘘だとわかっていながらも、毎日心底嫌な顔を見せるのであった。
その嫌がる息子の顔を見るのが、快斗の母の密やかな楽しみであることは、快斗も知っている。
毎回毎回いいように自分で遊ばれるのはいい気分ではなかったが、嫌いなものは仕方がなかった。
今日は、その10回のうちの1回ではありませんように!と、心で手を合わせて普段は信じてもいない神様に祈る快斗を、快斗の母は見透かしたように楽しそうに笑う。
「残念でした、快斗。今日は本当にお魚の日でっす!」
「えええええええええっ!?」
宣言されて、快斗はゴトンと鞄を床に落っことした。
「なんでだよ〜!?おととい出てきたばっかじゃねーかよっ!」
詰め寄っているようで、後退って叫ぶ快斗は、かなり情けない。
だが、ちょっとかわいかったりするので、快斗の母は、だから止められないのよね〜♪と思っていたりする。
歌でも歌いそうに機嫌よくキッチンから出てくる母親は、快斗にとって、かなりの危険人物だ。なにしろ、つい今しがたまで魚を触っていたかもしれないのだ。
匂いがするかもしれないという思いが、更に快斗の足を後ろへとやる。
じり、じり、と下がる快斗に、快斗の母は軽い足取りで、じり♪じり♪と近づいた。
ドアへ向かって下がればいいものを、部屋の奥へ向かって下がっていた快斗は、背中に壁が当たったことを知って、青ざめる。
キッドのときならありえない失態だった。
しまったと思っても、もう遅い。
勝ち誇ったように、また一歩と進めた母親に向かい、
「〜〜〜〜母さんっ!!」
とうとう、快斗は耐え切れずに叫んだ。
途端、快斗の母が爆笑する。
すっかり憤慨してそっぽを向いた息子から、一歩だけ離れると、収めきれない笑いに息を詰まらせながら、口を開いた。
「サカナサカナサカナ〜♪サカナ〜を〜食べ〜ると〜♪」
これを流すと魚の売り上げが上がるという噂の歌だ。
なかなか上手な歌いっぷりである。
が、快斗は即座に遮った。
「おれは元からアタマいいから食べなくていいんだよっ!!」
相手との距離を測っているとは思えない大声で、一息に叫んで肩で息をする。
快斗のその様子に、快斗の生みの親兼育ての親は、やはり耐え切れないといったように、涙目になって笑い転げた。
快斗は、壁に背中を押し付けたまま、無言で睨みつける。
これが悪友たちならば蹴っ飛ばせばいいし、青子なら逆に悪態をついたりからかったりすることもできるだろうが、親となると、どうにも分が悪かった。
なぜこんなことになっているのか、納得のいかないまま、快斗は笑い転げている母が普通に会話できる状態に戻ってくれるのをひたすら待つ。
逃げ出すことも考えたが、魚を触った手で普通に追いかけられそうだったので、選択肢から外すしかなかった。
しばらくして、大きく息を吐いた快斗の母が、「あ〜つかれた」と言いながら身を起こした。
(疲れるならヒトで遊ぶんじゃねーよっ)
むくれっぱなしで待っていた快斗は、言いたい文句を押しとどめ、ようやくまともに会話できると溜息混じりに口を開いた。
「で?なんで魚なんだよ?いくらなんでも周期が短すぎだろ?」
3日に一度。
魚好きな家庭であれば、普通に食卓に魚が乗りそうな周期ではあるけれど、魚の絵にさえ飛び上がる息子のいる家にしては、頻繁すぎる。
睨んだ快斗に、快斗の母は、笑いすぎて目じりに浮いた涙を拭いながら答えた。
「青子ちゃんがさっき届けてくれたのよ。快斗、あなたまた何かやったんじゃない?」
「・・・・・・青子のやろぉ〜〜〜。」
思い当たる節が、ある。
たかがプリント整理の復讐が、コレ・・・なのだろうか。
(しかも早すぎだろ!おれと一緒に帰ってきたくせに、どうしてもう魚届け終えてんだよ!!)
快斗がのんびりと帰路を歩いているときに、嬉々として魚屋に走っていたに違いない青子が目に浮かんで、快斗は恨めしげに眉を寄せた。
クスクスと、快斗の母がおかしそうに笑っている。
むむ〜と顔をしかめている息子を見つめながら、快斗の母の笑いは、徐々にその空気を変えた。
やがてそれは、穏やかな微笑みになる。
不思議そうにその変化を見つめた快斗に、快斗の母は、小さく笑った。
「快斗、あなたって幸せね。」
「どこが!?」
思いっきり聞き返した快斗に、快斗の母は答えず、もう一度微笑んで、快斗に背を向けた。
キッチンへと戻っていく。
「・・・あなたは幸せよ?」
戻りながら、もう一度小さく呟いた母に、快斗は拗ねた顔を収めて、壁から身を起こした。
「幸せじゃないなんて、思ったことないけど?」
言うと、それはいいことね、と、顔が見えないままで返事だけが返ってくる。
快斗は、快斗の母が何を意図して言った台詞なのか、わからずに首を傾げた。
「・・・母さん・・・?」
問いかけると、少し間が空いた。
それから、ひょこんとキッチンの入り口に母の顔が覗く。
快斗と目が合うと、快斗の母は悪戯っぽく意味ありげに笑った。
「青子ちゃんがいるものね?」
「はぁ!?」
脈絡がわからない。
わからないにも関わらず、妙な恥ずかしさが襲ってきて、快斗は慌てて不機嫌な声を出した。
「何言ってんだよ?」
必死に平静を装いながら、そそくさと退散の準備をする。
クスクスと楽しそうな笑い声を立てる母に、結局質問の答えをごまかされてしまったのだと気づいたのは、快斗が躓きながら階段を上って、自室のベッドに鞄を放り出してからだった。