ノラ猫探し


-4-



士官学校の図書館は、ヒューズ達が想像していたよりも遙かに広かった。
そもそも士官学校の敷地自体が広大だ。
現在の大総統、キング・ブラッドレイが就任して数年。
以前よりも軍の影響力の拡大した国家の有様を、今ではこんなところにも顕著に見ることができる。

図書館は、本館と分館の二館あった。
本館に出入りする学生は多い。主に講義やレポートに必要な文献は本館で揃う。
また、数は多くはないが、娯楽誌の類もこちらに置かれている。
二階建ての鉄筋の館内は、冷暖房が完備され、冬や夏は束の間の憩いを求めて足を運ぶ学生も多かった。
一方で、分館は二階建ての石煉瓦造りである。
こちらは士官学校の規模がもっと小さかった頃から存在する館で、以前はあらゆる書物がこの中に保管され、課題に追われる士官候補生達の姿を見ない日はなかったのだろうが、現在は主だった書物が保管機能に優れた本館に移されているため、僅かな書棚しか残されていなかった。
倉庫といっても差し支えがないような扱いのそこには、恐らくほとんどの学生が卒業まで一歩も踏み込まないままで過ぎ去りそうな特殊な内容の書物ばかりが並んでいる。
随所に剥き出しの石が晒されている館内は、夏は涼しいが、冬は冷凍庫のように冷える。
気温を整えるものといえば、冬はポツポツと燃えるストーブが各階に一つずつ。夏は扇風機が同じく各階に一つずつだった。
寄り集まって、その一つの器具を囲める程度の人数しか利用していないのである。
それさえ人数の多い場合で、通常はその貴重な器具を己の行く場所に共に移動させ、独占できる程度には人影がなかった。

ヒューズが立ち止まったのは、この分館の前である。
「うわっ古!」
目を見張る大柄なライアンの隣で、同じだけの存在感を放ちながらも小柄なカディックが感心する。
「すごいね、さすが年代物。どんな本が追いやられてるのかな。」
「さぁな。知らない内容ばっかりなのは確かじゃねーか?」
言ってヒューズは入口の扉に手を掛ける。
先程横目に通り過ぎてきた本館の近代的な扉とは一転、重厚な彫りの入った今にも朽ち果てそうな色の木製の扉だった。
「この建物が図書館だって知らない候補生も多いらしいぜ?」
ヒューズの言葉に、二人は素直に頷く。
実際、敷地の隅に木立に隠されるように存在する、蔦まみれのこの建物の存在感は薄い上に、中に入ったところで書物ではなく亡霊に出会いそうな景観は、ヒューズの話を納得させるのに十分過ぎる。
「ここにねぇ。」
呟いたカディックに、ヒューズが得意げに笑う。
「いかにもって感じだろ? そもそも本館じゃ、何日も立てこもれねぇしな。」
そんなことをすれば、いくら休み中でも目立って仕方がないに違いない。
だが分館ならば――。
「とりあえず、入ってみようぜ。」
ドアに手を掛けたライアンに、ヒューズ達は頷いて、薄暗い館内へと踏み込んでいく。
彼らが、二階の片隅で眠る黒い頭の本の虫を見つけるのに、それほど時間はかからなかった。


彼は、二階の奥にいた。
本棚が置かれないままにぽっかりと空いたスペースは、貴重な館内のひだまりとなっており、幾つかのイスが無造作にあちらこちらを向いたままで置かれている。
まん中に置かれたストーブから、ここが分館二階の読書スペースとして設置されていることが窺えた。
そこに、ひだまりを覆うように毛布が一枚、こんもりと山を作っていた。
毛布の間からは、黒い頭が覗く。
ヒューズ達は足音を殺していたわけではないから、恐らく黒い頭の主も、ヒューズ達が二階に上ってきたときには気づいていたのだろう。
「…見ーっけ。」
嬉しそうに呟いたのはヒューズだ。
カディックがクスリと笑う横で、ライアンは「本当に居た…」と絶句していた。
歩み寄るヒューズ達から寝転ぶ人物の表情が見える前に、その当人は、ムクリと上体を起こした。
「…だ、れだ…?」
ごしごしと目を擦っている。
穏やかな春の午後の日差しに、溶けるようにして馴染んでいた彼の世界を壊した乱入者3人は、互いに無言で顔を見合わせた。
「…肝試しか?」
少しはっきりしてきた言葉で、最初のぽやぽやとした印象が幾らか消える。
「まさか。こんな昼間からか?」
返したのはヒューズだった。
起き上がって目を擦っていた彼は、手の動きを止めて、ヒューズを見上げた。
「…なんだ、おまえか。」
黒髪の童顔男がそう呟くのと、ヒューズが
「帰ってこないノラ猫を探しに来たんだよ。」
と返すのは、ほぼ同時だった。
一瞬の沈黙後、黒髪頭は露骨に眉を寄せた。
「…誰がノラ猫だ。」
不機嫌な顔でヒューズを睨む。
ただし、立ち上がり、ヒューズ達に視線を合わせる気は毛頭ないらしい。
先ほど頭まで被っていた毛布――今は彼のお腹から下を覆うだけであるが――を、未練も露わにしっかりと掴んでいる。
ヒューズはというと、とりあえず彼の発した『なんだおまえか』に驚いていた。
目をまん丸にして、とても自分と同い年とは思えない童顔を見つめる。
どんどん不機嫌になっていく黒髪と、パチパチと瞬くヒューズを、カディックと、そのカディックに行動を止められたライアンが、おもしろそうに観察していた。
「……なんだ。言いたいことがあるなら早く言え。」
ヒューズは、その声に益々目を丸くした。
これは一体どんなヤツなのだろう、と、くるくると思考し始める。
入寮直後のこんな時期、大抵の人間は今後の学校生活を円滑に進めるべく、あらゆるところでお友達ごっこを繰り広げているというのに、目の前のひだまりに溶けるように懐いている人物には、そんな気がさらさらなさそうだ。
(…まぁ、でも、想像通りといえばそうなのか…?)
少なくとも、そこまでは。
ヒューズの想像には続きがあった。
(…円滑な学生生活考えるなら、とりあえず同室者とくれーは顔合わせするよな?)
それならいっそ、と、ヒューズは他人にとことん無関心で協調性など欠片もない、己の世界の中から出てこないような人物を想定してみていたりした。
(うーん…。)
顔を合わせたばかりで、しかもこれから4年間同じ部屋に暮らしていこうという自分を睨み上げている人物は、どう見ても他人に関心があるようには見えないし、協調性豊かでもないだろう。
だがしかし、だからといって他人を全く無視したり、己の世界に閉じこもったりするような人物でもない…気がする。
目の前の童顔は、相変わらず睨み続けながらも、一応きちんとヒューズの反応を待っている。
ヒューズは、観察すればするほど頬が緩んでくるのを感じた。
この男に不機嫌そうな顔で睨まれるのは、結構楽しいかもしれない、と、ヒューズのアンテナが感知したのである。
先程の寝起きのぽやぽやなど見る影もなく憮然とした顔をしている黒髪頭が、なぜだかおかしくて仕方がない。
このときのことのために、今後この童顔が、延々ヒューズの遊び相手にされることになるのだが、当然ながら現在の彼にそれがわかるはずもない。
彼は自衛手段を取るでもなく、剣呑な眼差しでヒューズを睨み続けていた。
「おい?」
明らかにむっとした声で呼ばれて、ヒューズはようやく返答を返すことに思考が至った。
「あー…いや、わりぃ。」
「なにがだ。」
おまえ、オレに何か悪いことでもしたのか、と…口にしていないのに伝わってくる見事に胡散臭そうな眼差しが、またヒューズの笑みを誘う。
今度は、あからさまに表情が崩れた。
「いや、悪くねーけど。」
言うと、面倒そうに黒髪男が息を吐いた。
ヒューズは、小さく肩を揺らして笑った。
「オレをご存知?」
にこにこと問い掛ける。
言いながら、ヒューズは黒髪頭の前に屈みこんだ。
どかりと胡坐を組んで座ってしまう。
驚いたらしい黒髪男が、なんだコイツといわんばかりに身を引くのを楽しく観察する。
黒髪男は、目を逸らさない。
ただ、呆れを存分に含んだ眼差しで、ヒューズを真っすぐに見返していた。
「ご存知って…おまえ首席入学者のマース=ヒューズだろう? 入寮挨拶してたじゃないか。」
「あ、じゃあやっぱ入寮式は出席してたのか。」
カディックとライアンも、話す二人の近くに座る。
なぜオレが囲まれなければならない? と、やはり明確に書いた顔で、黒髪頭は後から来た二人を見やった。
それでも、ヒューズの問いかけに律儀に答えを返してくる。
「候補生が揃う席にはいなかったがな。おまえが万が一出席できなかったときのためにとかいう理由で、オレも挨拶の用意をさせられてたんだ。さすがに入学早々すっぽかすわけにもいかないだろう。」
面倒そうな声で言う。
ヒューズは、上機嫌でにちゃりと笑った。
「ってことは、やっぱおまえがロイ=マスタングなんだな?」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたのは黒髪頭――ロイである。
「おまえ、まさか知らずに声を掛けてきたのか!?」
信じられない生き物でも見るようにしてヒューズを見るロイに、カディックとライアンは溜まらず噴き出した。
「そうだよね、普通しないよねぇ。」
「だよな。あんまりヒューズが普通に行動するからオレがおかしいのかと思ったけど、やっぱ普通しねーよな?」
言い合う二人にヒューズは拗ねたように口を尖らせた。
「だからよー、別にまるっきりの当てずっぽうじゃねーって言ってるじゃねーかよ。」
「おまえ…オレが上級生だったらどうするつもりだったんだ…。」
呆れて告げたロイに、ヒューズは「そのくらいどうにでもなるさ!」と胸を張る。
続けて、バシっとロイを指さした。
「第一こんな童顔な上級生がいるもんか。」
「なっ…誰が童顔だ! おまえがオヤジ顔なだけだろう!?」
「あんだとぉ? オレのどこがおやじ顔なんだよ! そもそもオレはおまえに一度も会ってないんだぞ? 顔なんかわかるわけねーだろうが!」
だから探してたってのもあるんだし、と続けるヒューズに、ロイは唖然とし、力いっぱい溜息を吐き出して、ジロリとヒューズを睨んだ。
「無謀にも程があるだろう。おまえと同室じゃ先が思いやられるぞ。」
「そうか? オレは結構楽しみだけど。」
にへらと笑うヒューズに、ロイが頬を顰める。
だが、それについて反論することはなかった。
(やっぱおもしれーなぁ。)
ヒューズは、口はともかく表情と態度は結構素直じゃないか、と、これからのルームメイトを眺めて思う。
遠慮も何もなく悪態を返すくせに、ロイから拒絶の意志を感じないことも、ヒューズの気持ちを浮き立たせた。
ロイはというと、昼寝の続きは諦めたのか、斜めに傾け腕で支えていた上体を、腕がいらない位置まで起こし、胡坐をかく。
わしわしと乱暴に髪をかきあげ、サラサラと零れてくる前髪の間から、ヒューズと一緒にロイを囲んでいる二人へと視線を向けた。
「君たちは、レイ=カディックとマーク=ライアンだろう?」
「へぇ…。」
感嘆を含んだ声の後で、「そうだよ」とカディックが頷く。
その隣から、ライアンが身を乗り出した。
「すげぇ! 全員わかるのか!?」
ロイは、いや、と短く答えて首を振った。
「まさか。とりあえず部屋が近いヤツだけだな、覚えたのは。寮生活が始まったら必要になると思ったんだが…。」
肩が凝ったのか、コキコキと肩を鳴らすロイを見ながら、ヒューズは呆れた声で告げた。
「寮生活はもう始まってんだけどな…。」
「まだ任意だろう?」
「名前さえ覚えておけば、始業式までトンズラしてても平気ってか?」
ヒューズに嫌味を言うつもりはない。
だからその言葉にトゲはなかったのだが、続けて横へとずらしたヒューズの視線には、多分に呆れが含まれていたので、ロイは嫌そうに顔を顰めた。
「…別にいいだろう。何もしないよりマシじゃないか。」
ヒューズ達から見てロイの向こう側には、簡易食品として市販されているビスケットや缶詰、飲み物が、開封されたものと未開封のもの、分けて置かれている。
「…すごいね、マスタング。君、ここで篭城する気だったの?」
レイ=カディックの言葉に、マスタングは気まずそうに視線を逸らす。
「別に篭城していたわけじゃない。ただわざわざ部屋に戻る必要がなかっただけだ。」
「そりゃ毛布まで持ち込んでればそうだよなぁ。すげー。これなら一週間暮らせるよな。」
マーク=ライアンも、カディックの隣で頷く。
ヒューズは、深い溜息を吐き出して、拗ねたようにロイを見やった。
「…戻ってこいよなぁ。つまんねーじゃん、オレ…。」
「知るか。」
呆れ声で、ロイが切り捨てる。
そのあまりの素っ気なさに、ヒューズはこれ見よがしに苦情を零し、カディックとライアンは、声を上げて笑った。



2006.2.1 文月 優


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