Turning Point





「……別に。観念なんか、とうの昔にしている。」
「へ!?」
 ヒューズは、ものすごく意外な言葉を聞いたとでもいうようにロイを見た。
 ロイこそ意外だと思う。そんなこと、とっくに知られていると思っていた。
「なんだ。」
 もう一口ワインを含んでグラスをテーブルに戻したロイに、ヒューズはフォークを差し出してきた。
 ロイは受け取り、グレイシアの料理に手を伸ばす。本当はナイフもあったほうがいいのだろうが、そこは男同士の気楽さで省略だ。
「いや…ちょっと驚いた。いつだ?」
「さぁな。」
 チーズとベーコンのキッシュが、フォークに触れてサクリと音を立てる。
「…結構前だぞ。」
「イシュヴァールの頃か?」
 ヒューズは自分も料理に手を伸ばしながら、ロイをチラリと見た。
 ロイは、それには答えず、逆に聞き返した。
「おまえ、私の錬金術の師匠が誰だか知ってたか?」
 ロイ以外から聞いていないとしたら、きっと知らない。ロイは言っていないのだから。
 ヒューズは恐らく、ロイとリザが会ったのは、イシュヴァールだと思っている。
「……そういえば、聞いたことがねぇな。」
 まるで今気づいたとでもいうように呟くヒューズに、ロイは小さく笑う。聞かなかったのは、ヒューズが気づかなかったからじゃない。ヒューズがロイを、気遣ったから。
(まぁ、単純に師匠が彼女に関係があるなんて想像しなかったからかもしれんが。)
「…彼女の父親だ。」
「なにぃ!?」
 今度こそ、ヒューズは目をまん丸にして叫んだ。その驚きは、先程の比ではない。
 ロイは、今度はハッキリと笑った。あまりにも予想通りの反応をしてくれる。
「ちょっと待て! ロイおまえ、いつからリザちゃんと知り合いだ!?」
 から揚げが刺さったままのフォークを握り締めて身を乗り出したヒューズに、ロイは教えてやった。
「かれこれ、15年くらいにはなるかな。」
「15年!? オレより古いじゃねぇか!」
 裏返りそうな声で叫んだヒューズに、ロイは弾けるように笑った。
「知らなかっただろう?」
「知るわけねぇだろ! おまえ言わなかったじゃ…っだぁあああ! なんだよそれは!?」
 悔しそうなヒューズに、ロイはますます笑う。
 まだワインはそれほど飲んでない。酔っているはずはないのに、とても楽しい気分だった。
 彼女との昔をこんなふうに話せる…穏やかな日々が愛しいと思う。
 ロイはソファーから腰を浮かせると、ソファを背に、床に敷かれたラグに直接腰を下ろした。
 とっくに床に座っているヒューズの方へ、スペース確保のために軽くテーブルを押す。
 乗り出していたヒューズは、テーブルに押されて腰を下ろしながらも、ロイの座るスペース分、身を引いた。
「……すげぇ衝撃の真実だぜ、それ。」
「そうか?」
「そうかじゃねぇって。おまえはホントに……マジかよ。」
「ああ。」
 ヒューズは、カシカシと頭を掻いた。
 置いてあったグラスワインを一気に煽ったので、ロイはワインボトルをヒューズの方に押してやる。
 ヒューズは、改めてワインを注ぎなおすと、一口飲んで、ドスンとグラスを戻した。
「で?」
 目が据わっている。
 クスクスとロイは笑った。
「なんだ。」
「だから、観念したのは…いや待て。彼女に惚れたのはいつだ?」
「…よくわからんな。」
 ヒューズは、唸って続けた。
「おまえ、もしかして彼女が初恋とかいう?」
 ロイは、キョトンとヒューズを見た。
(初恋…?)
 ――そういえば、考えてみたことはない……が。
「……言われてみれば……?」
 おや、と首を傾げたロイの前で、とうとうヒューズがテーブルに突っ伏した。
 ゴンという音と共に、グラスに注がれたワインが揺れる。
「おい、危ないぞ、ヒューズ。」
「るせぇ! 俺の今の気持ちがわかるのはグレイシアだけだ! くそう、なんで今日に限っていねぇんだよ〜! ロイ、おまえのせいだぞ!」
「……もう酔ったのか、ヒューズ。なんで私のせいになる。」
 冷めた目で見下ろしたロイに、ヒューズが喚く。
「エリシア〜〜〜!!」
「やかましい!!」
 叫んだところで、むくりとヒューズが起き上がった。
「おまえ、ほんとに初恋なの?」
 上目遣いに尋ねたヒューズから、ロイは嫌なものを見たように視線を背けて、さぁ、と首を傾げた。
「さぁな。」
 本当にわからない。けれども、初恋と限らなくても。
(…そんなに惚れてんのに、か。)
 ヒューズの先程の言葉に、ロイは微かに苦笑を零した。
 惚れた、と、表現できる相手自体が、ロイには一人しか浮かばない。
「――昔の彼女は…なんというか、片鱗はあったが今とは違っていたぞ、とりあえず。少なくとも、軍人になるようには見えなかったしな。」
 言ってから、ああでも、と、ロイは目を細めて言い直した。
「いや、やっぱり変わっていないか。あれは…まだ彼女がローティーンのときに背負ったものだ。とんでもないな…。」
 あの背中の刺青――。度胸も、覚悟も、その年齢の女性が持てるものではない。まして彼女は、過酷な運命をもともと背負っていたわけではなく、ごくごく普通の少女だったのに。
 ――父親の言葉を、信じたのだと言っていた。
 独り言のような呟きに、ヒューズは首を傾げた。リザの背中の秘密を、ヒューズは知らないのだ。
 ロイは軽く笑う。
「昔は特に深く考えたりしなかったからな。感情の分類はわからんが、…彼女は昔から、自然に好感を持てる人だったよ。」
「へぇー。――って、なんかすげぇ衝撃受けてんだけど、俺…。」
「知るか。」
 ヒューズは、フォークに刺しっぱなしで皿に転がっていたから揚げを、フォークごと拾って、もくもくと食べた。
「じゃあイシュヴァールの頃のは、再会…だったのか。」
「ああ。」
 ヒューズは、髪をわしわしと掻きあげる。
 ロイは、勝手に口を開いた。
「…驚いたなんてもんじゃなかったぞ。」
「それは…まぁ、なぁ。」
「なんて馬鹿だと思った。」
 ヒューズは、ふっと苦笑する。
「おまえがそれ言う?」
「…だが、そう思ったんだ。どうしてわざわざ、あんな道に来たのかと。」
 グレイシアの料理はおいしくて、ワインは進んだ。
 やっと少し、ロイにも、そしてヒューズにも、アルコールが回りはじめる。
「…私が彼女の家に出入りし始めたときには、もう既に母親はいなくて、彼女は父親と二人で暮らしていた。弟子入りしてしばらく経って、私が軍人になった頃、その父親も病で亡くなったよ。だがな、彼女には祖父母が居た。とてもいい人たちだ。」
「へぇ。」
 ただ相槌を打つヒューズに、ロイはそれが誰かは言わず、話を続ける。
「両親をなくしても、きっと幸せに暮らす道はあったはずなんだ。彼女の父親は、…軍人嫌いでね。私が軍人になると決めたときも辛辣に言われた。今考えると、ああなるほどと思うことばかりだから、彼の目は確かだったんだな。――まぁそんな人だから、天才と言うに十分な錬金術師で、国家錬金術師もずっと勧誘されていたけれど、結局拒否し続けた。国家資格でも持っていなければ、錬金術師なんて皆貧乏だよ。生前も、ましてや亡くなった後なんてもちろん、なにも…研究成果以外は、何も残っていなかった。」
「ふぅん。」
 ヒューズは遮らない程度の相槌を打って、手に取ったグラスを揺らす。ロイは、それを見て微かに笑い、そのまま続けた。
「でも、祖父母の方は豊かに暮らしていてな、彼女一人の面倒を見ることが苦労になるような家じゃなかった。むしろ祖父母は彼女をとても愛していたからね。私はずっと、彼女は祖父母の家に引き取られて、どこかいいところの坊ちゃんと婚約なり結婚なり、したんじゃないかと思っていたんだ。」
「彼女…お嬢さんなのか。」
 尋ねられて、ロイは笑う。
「おまえ、彼女が私の副官になったときに、調べたんじゃないのか?」
 先程と同じように、答えずに尋ね返したロイに、ヒューズは気を悪くするでもなく、ひょいと肩を竦めた。
「軽くな。あの戦場での彼女を見て、今更裏を取る必要なんて感じるか?」
「…そうか。」
 ロイは僅かに嬉しそうに笑った。
 その様子は、まるでエリシアが宝物を褒められたときのようで、ヒューズは顔に出さず、内心で微笑む。
「じゃあおまえは、それで良かったのか。」
「…なにがだ?」
「だから彼女。どこかのボンボンと結婚して、それで。」
「ああ、」
 ロイは、質問の意味を捉えて、少し考え込んだ。
「…よかったんだと思う。彼女の祖父母が、滅多な人間に彼女をやるわけはないし、幸せになれるだろうと思っていたから。」
「その頃から惚れてたわけじゃねぇのか。」
「だからわからないと言ってるだろうが。」
「おまえがわかんないなんてあるかよ。好意は持ってたんだろ?」
 ロイは呆れてヒューズを見た。
「あのな、私だって昔から遊んでたわけじゃないぞ。」
「そりゃ知ってるけどよ。」
 士官学校に入学した頃、つまりヒューズと知り合った頃のロイは、けして女嫌いではなかったが、女性より研究だった。それを知っているから、ヒューズは軽く答えて苦笑する。
(ま、今もホントはたいして変わってねぇんだろーけどな。)
 それでも、よく言えば社交的になった。
「おまえ、自分の中を追及せずにおけるタイプじゃねぇだろ? まして思春期。好意持った時点で考えるんじゃねーかと思ったんだよ。」
 ロイは、無言で空になったワインボトルをヒューズに差し出した。受け取ったヒューズが立ち上がる。
「…全く考えなかったな。無愛想なわりには妙にかわいい子だと思ってはいたが…どちらかというと妹みたいなものだった。」
 ロイは、空いた皿を適当に重ねて自分も立ち上がり、それらをキッチンへと置いた。
「うわっ典型的! 妹だと思って暢気にお兄ちゃんしてたら、すげぇいい女になっちゃってビックリってか?」
 先にテーブルに戻ったロイに、チーズでも用意しているのか、姿が見えないヒューズの声だけが届く。
「馬鹿、違う。」
 ロイはあっさりと否定した。
「気づいたときには時遅し、で、他の男に取られてたりしてさ。」
「だから違うと言ってるだろうが。」
 ヒューズは、ブランデーとグラスを二つ持って戻ってきた。
 器用に、チーズを載せた皿も指で運んできている。
 それらを並べて、ロイの前に腰を落ち着けた。
「取られるも何も、手を伸ばそうなんて考えが、そもそもなかったんだよ。」
 思い出すように告げたロイに、ヒューズは少しだけ目を丸くして、へぇ、と呟いた。
「軍人になるつもりだったからか?」
 尋ねられて、ロイは考える。
「…恐らくな、それもあるんだろう。自分には無縁な世界の子だと思っていた。」
 そこまで言って、ロイは目を伏せ、小さく笑った。
「それなのに、砂漠に銃を持ってにょっきりと現れたんだ。」
 ヒューズが噴き出す。
「そりゃビビるわな。」
「だろう。」
 クスクスとロイは笑った。
「おまけに凄腕だし、勘はいいし。候補生だぞ? というか、そもそも私は軍人になるどころか、あんなに運動神経のある女性だと思っていなかったんだ。」
「ついた渾名が『鷹の眼』だろ? たいしたもんだぜ。」
「…でも、変わってなかったな…。」
 ロイは微笑む。
 きっと、自分が微笑んでいることに気づいていないのだろう、と、見ていたヒューズは思った。
「私は、何も彼女を知らなかったんだと思った。いや、何もじゃないか。半分…だな。穏やかな面しか知らなかったから。」
 ヒューズは、ロイにつられるように笑みを零してしまいながら、口を開いた。
「なぁロイ、言っていいか?」
「なんだ?」
 いつのまにか、ロイは上機嫌だ。それがまた、ヒューズの笑みを誘う。
 ロイの手元でゆるゆると揺らされるブランデーは綺麗な琥珀色で、明かりに透けたその色に視線を落とすロイが、そこに何を見ているのか、ヒューズには容易に想像がついた。
 ヒューズはにやりとしながら言った。
「おまえ、リザちゃんにすっげぇベタ惚れ。もうこの世の果てまでベタ惚れ。あまりの惚れ込みっぷりに、聞いてる俺が溶けちゃいそうだぜ。」
「なっ…そ…!?」
 ぎょっとしたように顔を上げたロイの手元で、琥珀が波打つ。
 くっくっと肩を揺らすヒューズに、ロイは勢い込んで文句を言おうとしたようだった。が、言葉が続かないのか、沈黙が落ちる。結局、ヒューズに聞こえたのは溜息だった。






結局書き換えず、原作仕様の看板は下ろそうかと…。
リザさん、自分のおじいちゃん知ってる設定です。
そんでロイは、居候してたこともある、と。…ふぅ(−−)。

2006.11.28 文月 優

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