Turning Point





ヒューズと並んで中央司令部の建物を出る。
かろうじて夕焼けが地平線間際に引っかかっていた。
自室から見るよりも視点が下がったからか、街並みこそ見えないけれども、青にひたりと染まった空に、幾筋も登っていく煙突の煙が、ロイに教えてくれる。今日も平和に、一日が終わろうとしていた。
「こんくらい時間ってのはいいよなぁ。」
ロイの視線を辿ったのか、ヒューズが呟く。
ロイは唇の端に穏やかな笑みを覗かせて、そうだな、と答えた。
「私も昔から好きだったな、この時間の街は。」
続けたロイに、ヒューズが、ああ、と大きく笑った。
「そういえば士官学校の頃、おまえが寮を抜け出すのって、決まってこの時間だったよな。」
「……そうだったか?」
確かにこの時間帯は好きだったが、それは記憶にない。
わざわざ狙って抜け出していたわけではないのだし。
「…おまえって、好物使って罠仕掛けられたら、考える前にふらっと近づいちまうタイプだよな。」
「なぜそうなる。」
むっと視線をヒューズに戻したロイに、ヒューズは軽く笑う。
「ま、おまえだけじゃなくて、エドもその手だろーけどな。」
全然嬉しくないし、フォローにもなっていない。
ロイは、それでも諦めたように睨むのを止めた。
「ふん。錬金術師だからな。それより、おまえの家、酒もあるのか? 買っていくか。」
「あーまぁあるこたあるけど、足りねぇかもな。」
寄り道は酒屋だけ。
つまみは大丈夫だとヒューズが言うからには、本当に大丈夫なのだろう。
ヒューズの家に着くと、ヒューズが鍵を使って扉を開ける。
しんとした家の中。今日はエリシアもグレイシアと共に外出なようだった。
いつの間にか、エリシアも小学生になるかならないかという歳だった。子供の成長は早くて、自分を囲む時間の経過を知らされる。
「実家にでも帰ってるのか。」
告げたロイに、ヒューズは、いんや〜と首を振った。
いつもにぎやかに迎えてくれる家に、誰も居ないことはひどく不自然に思えて、ロイはきょろきょろと周りを見回した。
「グレイシアの友達の結婚式だってよ。ほら、そこらへん適当に見てくれ。」
示されたのはスリッパが片付けてある場所。
「適当にって…まぁいいが。」
一番記憶に残っているスリッパを取ってはくと、ヒューズは軽く笑った。
「なんだ?」
「ああ、いや。ただそのスリッパ、段々おまえ専用みたいになってきたなと思ってさ。」
「……?」
首を傾げたロイを置いて、ヒューズはリビングへと向かった。
二人で料理を運び、グラスを並べて席につく。
「…ゆうに二人分の量があるな。」
目の前に並んだ皿に、ロイが驚いたように呟いた。
ヒューズはケロリと笑う。
「ま、二人分だからな。」
「へ? 誰か来る予定だったのか?」
問うたロイに、ヒューズはニヤリとして答えた。
「ああ、おまえがな。」
「は?」
「グレイシアが、おまえ呼べって。ほんとは居るときに来てほしいって言ってたんだけど、最近忙しかったしなぁ。そろそろ落ち着くかもって、丁度昨夜そんな話をしてたんだよ。」
「…凄いタイミングだな。」
ロイは半ば呆れて呟いた。昨日までは、本当に忙しくて、とても早く帰宅できる状況ではなかったし、仕事が終わってから飲むぞと言えるほど、体力も精神力も残っていなかった。
「はは、おまえがサボったときに、3割ぐらいの仕事は自業自得だってぼやいてたからな。」
「…中佐か。」
「おう。だから少ねぇなーと。いつも5割だろ。」
「そんなところで察するな!」
「はっはっは、俺と中佐の仲だしー。」
チッと舌打ちしたい気持ちを…実行こそしなかったものの表情には顕にして、ロイはヒューズを睨む。だが、ヒューズにとっては、してやったり、で、ロイのそんな顔はご褒美以外のなにものでもないようだった。上機嫌に鼻歌を歌っている。
ちなみに、ヒューズも今はロイの配下にいるが、やっぱり腰を据えているのは情報部の方なので、ロイとの関わり方も、ホークアイ中佐をはじめ、ハボックやブレダ達とは違っていた。
「……ふん。」
聞こえるか聞こえないかの声で、そんな関係知ったことかと思いながら呟き、ロイは出ている酒瓶に手を伸ばす。とりあえず、料理がある間はワインだ。
器用に栓を開けにかかるロイを眺めて、ヒューズはひっそりと笑った。
「なぁ、ロイ。」
「…なんだ。」
「おまえさぁ、そんなに惚れてんのに、一体いつまで黙ってんの?」
ガッツン! と硬い音がした。
ワインを開けるのに使っていたナイフが、ロイの手から落ちたせいだ。
「あっおまえ! 俺たちが新婚のときに買ったテーブルに!! ああいや今ももちろん新婚だがな〜! 聞いてくれよ、昨日もさぁ、」
「…悪かったから、そこで止めといてくれ。あとで聞いてやる。」
一応素直に謝りつつ、ロイはナイフを拾って、もう一度ワインボトルの口元に当てた。
今度は慎重に周囲を切る。
端を軽く削り上げ、そこからぴりぴりと手を使って剥がし始めるのを見て、ヒューズは苦笑しつつ呟いた。
「なんだよ〜ロイ、抗議のひとつもなしか?」
「………。」
ロイは無言のまま、手にしていたワインとナイフをヒューズに突き出した。
ヒューズは大人しく受け取って、ロイがしていた作業の続きを始める。といっても、もうコルクを抜くだけだが。
ロイ当人はというと、自分が付けてしまった傷を指先でなぞって、思案顔を見せた。チョークを、とポケットに手を入れたロイを、ヒューズは止めた。
「直さなくていいぞ。」
「だが、確かこれは、グレイシアのお気に入りだったはずだろう。」
「傷も含めて、な。」
答えて、ヒューズはくっくっと肩を揺らす。
「おまえがリザちゃんのことで動揺してつけた傷だからな。このテーブルは、ますますグレイシアのお気に入りになるだけだ。何の問題もねぇよ。」
「…おまえが文句を言ったくせに。」
「気にすんな。言っただけだ!」
…強く言い切る意味不明な態度に、ロイは溜息を吐いてチョークをテーブルに放り出し、どさりとソファに凭れた。
ヒューズが、グラスにワインを注いでロイに渡してくれる。
「ほい、お疲れ。」
「ああ。」
簡単な言葉と共に、グラスを軽く持ち上げる。
料理が特級品なんだから、と、いいワインを選んできただけあって、それは味も香りも深みがあっておいしかった。
「――で。」
ヒューズはグラスをテーブルに戻すと、さっそく料理に取り掛かりながらロイを見た。
「で、なんだ。昨夜のグレイシアの話か?」
「バカ、違げぇよ。それも聞かせてやるが焦るな。リザちゃんだって。考えてみたら俺、おまえにこの話聞いたことないよなぁと思ってよ。」
そんなもの、別に永遠に聞いてくれなくて構わない、と、ロイは思った。
だが、このおせっかいな親友をして、今まで口に上らなかったことこそが、不思議だったのだろう。
ロイは正直、長く取り組み続けた大問題が解決し、ロイが大総統に就任した晩にでも、さっそく聞かれるかと思っていたのだ。
そのくらいには、ヒューズがロイとリザを気にかけてくれているのだという自覚はあった。
観察眼やら勘やらが人一倍鋭いヒューズはもちろん、それどころか身近な人間には、あらかたバレているとも思う。
甘い感情を悟られるようなマネをした覚えは一度たりとてないが、ロイにとってリザがどれほど大切な人なのか――共に修羅場を潜り抜けてきて、気づかないはずないと思うから。
……だから、つまり。今更、誤魔化すことは無意味なんだろう。できれば、もっと酔ってからにしてほしかったとは思うのだけれど。シラフでこの話題はきついものがある。…それは間違いなく、ここに至るまで何も言わず、何もしなかったロイへの、ヒューズの嫌がらせだった。
視線を向られても特に答えないロイだったが、それでもヒューズは、その話題をロイが拒絶していないことに気づいたようだ。
「お、観念したか? その調子でそろそろ彼女にも観念しろよ。他の女なんかホントは目に入ってねぇくせに、おまえ往生際悪いぜ?」
ロイは眉を寄せる。
(なんでこうも楽しそうなんだ、この男は!)
ロイは一口ワインを飲むと、グラスを傾け、白いテーブルに透かした。ルビーのような赤が揺らめく。ゆるりとグラスを伝い降りていく澱が、テーブルに濃淡を映した。
自然と、深い息が零れた。







2006.11.23 文月 優

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