Turning Point





 ヒューズは、爆笑とまではいかないものの、遠慮なく声を立てて笑った。
「リザちゃんって、世界で唯一グレイシアと張れるいい女だと思ってんだけど、俺。」
 ロイは、珍しくも赤い顔をして、落ち着かせようとでもいうのか、深呼吸なんてものをしている。
 まだ肩を揺らすヒューズを睨みながらも、諦めたようにヒューズの言葉に応じた。
「……ものすごい評価だな。おまえのそんな台詞、初めて聞いたぞ。」
 ヒューズ史上、最強最高の賛辞だ。
「そりゃ言ったの初めてだもん。」
 おいそれと言えるか! と力説するヒューズに、ロイは頬の熱をもてあましつつ、苦笑する。
 このヒューズに、グレイシアと同じくらいと言わせるリザは本当に凄いのだ。
 けれどもロイにとってみれば、そんなこと、とっくの昔に知っていた。
 …本当に、彼女は強くなって、逞しくなって、軍人らしくも振舞えるようになったけれど。根っこの部分は変わっていない。昔から、控えめではあるけれど芯がしっかりしていて、いざとなるとロイと父親を相手にしても譲らない子だった。日常生活がおざなりになりがちな男二人を、ときに一喝しながら毎日面倒を見て。
(…なんだ。静かな子なイメージがあったが、思い出してみたら、私は結局、昔から彼女に叱られていたんじゃないか。)
 気づいたことがおかしくて、ロイは笑った。
 その笑みが幸せそうであることを、ヒューズは気づいたけれども、知らん顔をする。
 ロイの記憶の中、どんな彼女が居るのかは知らない。だが、心配することはねぇか…と、ブランデーを飲み込んだ。
 と、ふとヒューズの脳裏に疑問が浮かんだ。
「なぁロイ、おまえ、リザちゃん口説いたことあんの?」
「はぁ?」
 すっとんきょうな声でロイがヒューズに視線を向ける。
 ヒューズは、ここぞとばかりにからかい全開でニヤリと笑ってやる。
「もしかして、本命には手を出せないタイプとか? 実は食事の誘い一つ経験ないとかよ。」
「バカ言うな。」
 ロイは露骨に眉を寄せて一蹴した。
 それはそれで、ヒューズには驚きで。
「へぇ、なにおまえ、誘ったことあんの?」
 尋ねると、ロイは、ふいっと視線を背けた。
「あるぞ。食事なら、それこそ今までで一番誘ってるんじゃないか。」
 投げやりな台詞に、ヒューズの勘がピクリと働く。
「ふーん。」
「…別に断られたわけじゃないぞ!」
 了承の返答の確立は、…ヒューズには言えないが。
 そんなロイの声が聞こえたような気がして、ヒューズはニマニマと笑った。
「へーえ。」
「おまえなぁ! 何が言いたい!」
 こっちを見たロイの顔に、堪らずに笑い出す。
「それって実は一番むなしいヤツじゃねぇ!?」
「やかましい! だから彼女は部下だと言ってるだろうが!」
「でも、全く下心なく誘ったわけじゃねぇんだろ?」
「なかったに決まってるだろう!」
 ロイの即答にも、くっくっとヒューズは肩を揺らす。
 ロイは、憮然としたまま続けた。
「部下をねぎらうくらいは上官として当たり前だろうが。」
 それは嘘ではない。交わすのは、執務室の延長線の会話。たまに冗談で口説く真似事をしては叱られて。…そんな程度の。
 それでも、そこに密やかな楽しみがなかったと、ロイには言えないのだけれど。
 多少なりとも、想う気持ちが絡んで共に過ごせる時間に喜びを感じたことはあるのだ。
 だから、ロイはヒューズが言った、
「そうだよな。ってことは当然、そんときゃ一緒にハボックたちも誘ったわけだよな?」
 という言葉に、とうとう頷くことができなくなった。
「……うるさい。」
「ロイ〜〜!!」
 バンバン、と机を叩いていたかと思うと、いつのまにか隣にやってきて、ヒューズはロイの肩をバンバンと叩く。
 叩かれたロイは、落としかけたグラスを慌てて握って、テーブルに戻した。
「おまえっかわいそうなヤツだなぁ!!」
「余計なお世話だ! 暑苦しいぞ、戻れ!」
 ヒューズは、ロイの台詞を無視して、ひっくり返って笑う。
「ヒューズ。調子に乗るなよ?」
 ロイが無言で発火布を取り出すと、ヒューズは、おっと、と呟いて、ロイから離れた。
 堪えきれないとでもいうように、まだ笑いながら、元の場所まで戻っていく。
 ロイは、深く溜息を吐いた。
「…言っておくがな、」
「ああ聞いてやるぜ?」
 笑い声で言われる台詞に、ロイは忌々しげな視線を向けた。
 大笑いをしている割に、ロイに向ける眼差しは、穏やかだった。それが余計に、ロイには腹立たしい。
「本当に、ほんの最近まで、誓って彼女を部下以上に扱ったことなどないからな。そんなことをしたら、彼女に対する侮辱になる。」
 同じ志を持って、同じ目的のために必死であがいている彼女が、ロイに認められたいと願うのは、そんな意味でではないはずだから。
 彼女の上官として、それはきちんと汲み取ってやるべきものだと思ったし、彼女がそうして真っ直ぐに進んでいる以上、ロイにはそれにふさわしくある義務がある。彼女以上に真っ直ぐに前を見て、強く進まなくては、彼女に顔向けができない。
「――知ってるよ。」
 今までの爆笑が嘘のように、ヒューズが静かに頷いた。
 バカみたいに笑っていた声も、するりと収めて。
「おまえ、そういうとこ、意外に真面目だよな。」
 ロイが向けた視線に、今度は柔らかな笑顔で答えた。
「きっと皆知ってんだろ。おまえにとって彼女は部下で、彼女にとっておまえは上官で。それ以上にもそれ以下にも踏み込まずにここまで来たことくらい。」
「……。」
 ヒューズは、皿に載せられたチーズを摘み上げる。
「少なくとも、意識下ではそうだろうさ。……無意識は、違ってたけどな。」
 親指と人差し指で運んだチーズを、口に放り込んでヒューズは視線を下げる。
「けどな。だから余計、皆がもう、そろそろいいじゃねぇかって思ってんだよ。」
「…ヒューズ。」
「俺たちは、おまえと彼女が一緒にいるのが好きなんだよ。他のヤツの隣に彼女が立つのも、おまえの隣に彼女以外が立つのも嫌だね。」
「……皆って何だ。」
 そんなふうに言われても、ロイには返す言葉がない。
 呟いた声に、ヒューズはさらりと返した。
「皆は皆だよ。おまえの頭には誰が浮かぶんだ。」
 そして、ずいっとテーブル越し、ロイに顔を近づける。
 嘘を許さない眼差しで、表情だけは軽く笑った。
「おまえだって、今更他の男になんか譲れないくせに。」
 ロイは、苦虫をつぶしたような顔で黙り込んだ。
(……当たり前だ。)
 昔ならともかく、今の自分には無理だ。
 それにきっと、彼女だって――。
 互いに、何も気づかないふりをできる程度には大人でも、何にも気づかなかったと忘れてしまえるほど物分り良くはなれない。
「…女性であるまえに、部下、か。厄介な相手だなって思うか?」
 ふと尋ねられた言葉に、ロイは顔を上げた。
「まさか。」
 即座に否定する。
 その質問になら、考えるまでもなく答えられる。
 答えられるのならば、――もう自分が選べる道は、一つしかないに違いない。
「――これ以上ない、最高の相手だよ。」
 満足げにグラスを揺らしてロイが笑うと、ヒューズは惜しみなく破顔した。
「それに、部下であるまえに、彼女はリザ・ホークアイだ。」
 師匠の家でも、戦場でも、執務室でも、いつだって。
 少なくとも国が変わり始めた今なら、そう言っても許されるような気がした。
「なんだ。」
 ヒューズはおかしそうに笑いながら呟いた。
 眼差しで問うたロイを見て、ヒューズはグラスを煽る。
「…その気はあったのか。」
 ロイは苦笑を零す。
「最初に言わなかったか。とうに観念していると。」
「ははっ、そういやそうか!」
 大きく笑い声を立てて、ヒューズはトンとグラスを置いた。
「心配して損した。」
「ばーか。」
 言ったロイに、ヒューズはニヤリとする。
「あまりにおまえが行動しねぇからよ。」
 ロイは、む、と眉を寄せた。
「……彼女は鈍いんだよ。」
「…ほー。つまり苦戦していると。」
「やかましい。」
「あ、もしかして決意したものの動けない?」
「誰がそんなことを言った!」
 ひっひ、と品なく笑うヒューズに、ロイは溜息を零す。
「……正直に言うと。」
「あ?」
「…別に、いいんだ。変わりたいと思うわけでもない。」
 グラスを揺らして呟いたロイに、ヒューズは一瞬呆気に取られて。
 それから、呆れたように苦笑した。
 どんな関係でも、共に生きることには変わりないと、それは口にはされなかったけれど、ロイの本心だろう。
 そして、恐らくはリザの本心でもあるに違いない。
 …今、当たり前に並んで歩いていく二人は、ロイの言うとおり、関係を変えなくても誰よりも近く在る。
(それって最高のノロケだろ…。)
 ヒューズは、心のうちで笑った。
 それでも、グレイシアと過ごすヒューズは知っている。
 寄り添うだけではなく、手を伸ばすことで手に入る、溢れるほどの幸せがあること。
 だから願う。その幸せを、どうかこの親友に。そして、親友と共に歩いてきた彼女に。
「……ま、気張れや、ロイ。」
 ロイは、ヒューズを見て一瞬沈黙してから、小さく肩を竦めて苦笑した。
「…気長にな。」
 伸ばされた二人の手が、飲みかけのグラスを取り上げる。
 当てたグラスが、澄んだ音を響かせた。





〜fin〜



2006.12.5 文月 優

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