新緑 -前-
東方司令部には緑が多い――ように見える。
実際は、特別生い茂っているわけではないはずだ。もともと乾燥した土地である。街を歩いても、目につくのは人工的に植えられた木々がほとんどだ。
司令部そのものも無機質な建物で、特に緑に調和するものでも、強調するものでもない。
だが、それでも東方司令部は、緑豊かな場所に感じられた。
それは、陽射しが眩しく司令部に降り注ぎ、瑞々しい新緑の木々を映えさせるからに他ならない。そして、陽射しが一際明るく見える理由は、恐らく東方司令部という組織内部が発するエネルギーのために違いなかった。
「……ぜんっぜん、司令部っぽくねぇよなぁ。」
初夏の陽射しが差し込む廊下を、左右で違う足音をたてて歩きつつ呟いたのは、エドワード・エルリックである。
最年少で国家錬金術師となった、現在14歳の少年。
彼は司令部っぽくないと言ったが、恐らくその司令部の中でも何よりも珍しい存在なのは彼だろう。
そのことを指摘する弟、アルフォンス・エルリックは、現在エドワードと共にはいない。
アルフォンスは、東方司令部の入口で、フュリー曹長と、ホークアイ中尉の愛犬ブラックハヤテ号に会って、そのままついていってしまっていた。
エドワード自身、実は小動物を抱いて和む弟を見るのはかなり好きだ。
まるでアルフォンスにまで尻尾があるように見える瞬間が不思議だと思う。
拾ってしまった犬猫には怒るけれど、そうでないならば何を咎める必要もない。
むしろ、感情など何も表れないはずの鎧姿の弟から、それでも明確な笑顔を感じられるとき、エドワードは懐かしさと共に幸せを感じた。
今エドワードとアルフォンスは、自分達の決意を背負って生きているけれど、だからといって過ごしていくひと時ひと時が苦しいわけではない。楽しいことも嬉しいこともたくさんある。
それでも、ささやかなことに当たり前のようにはしゃいでいた昔に引き戻されてしまうほどの瞬間というのは、意外に少ないもので、エドワードは先刻のようなアルフォンスを見るたびに、早くアルフォンスの身体を取り戻したいと強く思うのだった。
結局、エドワードは一人で司令部内に踏み込んだ。
そうして先程呟いた言葉は、司令部の廊下から見えた外の光景のためだった。
庭というほど広くはないが、木々の合間にベンチを幾つか配されているその場所は、軍人たちの憩いの場所なのだろう。丁度昼の時間だからか、思い思いにくつろぐ軍服姿の青年たちが、明るい笑い声を立てながら談笑している姿が見えた。
…珍しいな、と。
エドワードは、幾つかの軍施設や司令部に出入りしたことがあるが、こんなにカラっとした明るい空気を持つのはここだけだった。
何が違うのだろうと、ここ東方司令部でそんな光景を目にする度に思う。
そして笑ってしまうことに、他の司令部と違う点は、見つけるのが難しい程少ないのではなく、溢れんばかりにたくさんあるのだった。
(司令官のせいかねぇ…)
東方司令部司令官のロイ・マスタングは、子供であるエドワードから見ても、相当変わった人物だった。
彼を一言で表現しようとすると、エドワードの頭には『バカ』としか浮かばないのだが、実際それだけの人ではもちろんない。若くして大佐の地位にいるくらいには有能だし、人柄だって何のかんのといいつつ、エドワードは嫌いではない。
彼を説明するのは、エドワードには無理だ。
彼は、非常に軍人らしく見えるときもあるのだが、とてもじゃないが軍服を着ていないとそうだとわからないような振る舞いをしていることも多かった。
軍人としての命令系統を乱すようなことはしないが、上司と部下という関係を必要以上には決して持ち出さない。そのことだけでも、恐らく他の司令部にいる上官を考えると驚嘆に値する。エドワードが思い浮かぶ限り、そのような軍人で、かつ佐官以上の人物は、ロイ・マスタング大佐の親友であるヒューズ中佐と、その部下のアームストロング少佐くらいだろうか。…そういえば、彼らの部下も活き活きしている。
もっとも、意地を張って威厳を示そうとして部下に「何バカやってるんですか」と即却下をくらうのは、ロイ・マスタングくらいだろう。
悪態をつく部下に、子供のように拗ねた顔をするような人だった。
さすがにそこまで遠慮がないのは直属の部下に限るだろうけれど、上から頭を押さえつけられない環境は、ロイとは程遠い部署であっても自然と伝染し、東方司令部の気風となっているようだった。
実際、ロイが来るまえの東方司令部と現在で、どこがどのくらい違うのか、エドワードは比較検証してみたくて仕方がない。レポートにしてロイに提出してみたら、案外おもしろいのではないだろうか。
見下ろす広場では、新緑の気配に満ちた空気が軽やかに動き、皆が表情豊かに会話している。
(…ほんと、軍施設っぽくねぇ。)
だが、だからこそエドワードは、他の軍施設のどこよりもここが好きだった。
一度作戦が始まれば、豊かだった表情が引き締まることを知っている。
また、切羽詰った状況であっても、毒のない軽口を叩きつつ事に立ち向かう彼らを知っているから。
東方司令部には、人間らしさを失うことのない彼らの生き様が詰まっている。
(…そういや、大佐って他じゃいい噂聞かないけど、ここではそうでもないよなぁ…。)
例えば廊下を通るとき、大佐を見つけて敬礼する人の顔に負の感情は見えない。彼を知らない人は、他の司令部の人たちと同じような反応をするけれど。
そこまで考えて、エドワードは我に返った。
昼休みが終わったのか、先程の広場で談笑する人の数が減り始めている。
「と、いけね。その大佐探さなくちゃ。」
エドワードは、とりあえず司令官室へと向かいながら、近くを通った軍人を捕まえ、大佐を見ていないかと尋ねてみる。
が、誰もが首を振った。
「…ったく、どこ行きやがった。」
ガシガシと頭をかいて呟くエドワードに、たった今また同じ問いかけをしたばかりの軍人――若い青年である――が苦笑する。
大佐に対して適当な口を利くエドワードは、既に有名なのだ。
大佐も文句を言いつつ咎めはしない。
そうした二人の関係は、ここ東方司令部内では快く受け入れられていた。
「あ、じゃあさ、中尉は?」
と、今度は「それなら」という答えが返ってきた。
中庭へ行くのを見たという。
「ブラックハヤテ号でも探しに行ったんじゃありませんかね。」
それは違う、と、ハヤテ号が今フュリーや弟といることを知っているエドワードは思ったが、そのまま素直に頷いた。
「そっか、ありがとう。」
「どういたしまして。」
にこりと笑う姿に、エドワードも釣られて笑い、手を振った。
「仕方ねぇなぁ。」
先程上ったばかりの司令部の入口の階段を、どうやらまた下りなければならないらしい。
文句は大佐に言おう、と決めつつ、エドワードは再び屋外へと出た。
中尉が中庭にいるわけを考えて、エドワードは溜息を吐いた。
エドワードが東方司令部を訪れるのは、既に今日二度目なのだった。
「ごめんなさいね、今、大佐が外していて…。」
今日一度目の訪問の際に、中尉はそう困ったように告げた。
「中尉が謝ることないよ。…にしても、大佐またサボりかよ。ほんっとしょーがねぇなぁ。」
決め付けたエドワードに、中尉は否定する言葉を紡ぐわけでもなく苦笑を見せただけなので、それは合っているのだと思う。
だが、大佐がサボるたびに連れ戻しに出向く、または誰かを探しにやる中尉が、今日は特に動く様子がない。
司令官室に隣接する彼らの職場にも、誰の顔ぶれが欠けるわけでもなく揃っているので、今現在、大佐は野放しの状態なのだろう。
それが許される理由がある、ということだ。
「すぐ探してくるわ、少し待ってもらえるかしら。」
部屋を見回したエドワードに、凛とした、けれどもエドワード達に向けられるときには柔らかな声が告げる。
エドワードは、慌てて首を振った。
「いや、いいよ。先に昼食べてくる。」
午後また出直してくるから、といえば、中尉は少し迷った素振りを見せたが、結局、「ありがとう、そうしてくれるかしら」と了承した。
それから1時間程あけての再訪問が、今である。
司令部の中枢となる建物の横は、春らしく瑞々しい緑の葉を茂らす木々が並ぶ。
そして、木々に翳る道を抜けて拓ける場所は、手入れされた芝生と、なすがままの低い植木とが混在する中庭だった。
エドワードは、長めの赤い上着に両手を突っ込みながら、のんびりと庭にめぐらされた小道を歩く。
目的の人物は、すぐに見つかった。
「中…」
声を掛けようとして、慌てて留まる。
エドワードに気づいて顔を上げた中尉が、ふわりと微笑んだ。
人差し指を、唇の前に立てている。
「?」
一応足音を殺して近づいたエドワードは、目にした状況に、思いっきり呆れ顔をした。
「……ごめんなさい。あと15分だけ、時間大丈夫…?」
囁くような小声で告げられる。
特に予定はないので、時間は問題ないと答えれば、リザはほっとしたように微笑んだ。
「ありがとう。」
「いや、いいけど。」
言いながら、エドワードはリザの隣に視線を向けた。
エドワードが来た方向からは、丁度低い植木の影になって見づらいその場所で、リザは大きな木の幹に背中を預けて座っているのだけれど。
その隣に、木に寄りかかっているのか、中尉の肩に寄りかかっているのかわからないような体勢で、ロイが眠っていた。