新緑 -後-



「…すげー気持ち良さそう。」
思わず呟いたエドワードに、リザがクスリと笑う。
「中尉、重くないの?」
「大丈夫よ。体重を支えてるのは、ほとんど木だもの。」
それならば、リザの肩には触れている程度なのか。
言われてじっくり見てみると、確かにそう見えた。
だが、それでもリザは動かないようにじっとしている。
「…珍しいじゃん、中尉が大佐を叱らないなんて。」
言うと、リザは、そうね、と微笑んだ。
「珍しくも、大佐がここしばらく仕事漬けになってたから。2日間、ほとんど寝ていないはずなのよ。どうせサボるなら、本当は仮眠室で寝てほしいんだけど…今日、いい天気でしょう?」
エドワードは、言われて空を見上げた。
確かに、空は明るい青だ。ふわふわと浮かぶ雲も真っ白で柔らかそうである。
再び視線を落とすと、今度はロイの寝顔をしみじみと見つめた。
ふと、なにかが心の片隅に掛かった。
なんだろう…と、エドワードはロイを見下ろしながら考える。
答えはすぐに見つかった。
「…大佐の寝顔ってさ、」
「ええ?」
小首を傾げて続きを待つ中尉に、微かに笑ってみせて、改めてロイの寝顔を見つめたエドワードは、ポツリと呟いた。
「…アルにそっくり。」
「え…?」
エドワードの視線を辿り、肩を揺らさないように気をつけてロイの寝顔を覗き込んでいたリザの眼差しが、少し丸くなってエドワードを見上げてくるのに、エドワードは照れたように微笑む。
「さっきから、なーんか見たことあるなぁって思ってたんだ。アルに似てるんだよ。こう…安心して寝っこけてるとこが。」
「…子供みたいな寝顔ってこと?」
問うてくるリザに、エドワードは頷いた。
「うん。アル10歳、かな。大佐って、もうすぐ三十路だっけ?」
「…それ、本人に言っちゃダメよ?」
「えーでも中尉、あとハボック少尉! 絶対言ってるだろ?」
「言ってるわね。」
クスクスと二人で笑い合う。
すこーんと眠りに落ちているロイは、現れたエドワードの気配にも、笑い合う二人の声にも目を覚ます様子を見せない。
エドワードは呆れ顔でロイを見た。
「…ほんとのんきだな。軍人ってこんなに無防備に寝てていいもんなの…?」
半分は純粋な疑問で。
でもそんなはずはないよなぁと思いつつリザを見やると、リザは微かに目を伏せて苦笑していた。
エドワードから見ると、どこか幸せそうに見えるほど穏やかに。
「まさか。そうはいかないわよ。」
口調はいつものリザだ。
一瞬リザのの表情に目を奪われていたエドワードは、その言葉に軽く瞬く。
「戦場では、なかなか熟睡なんてできないわ。していたら死んでしまうもの。」
「……うん。」
エドワードは戦場を知らない。だけど、そうなんだろうな、と想像できないその世界を思いながら頷く。
リザは、そんなエドワードに宥めるように微笑んで続けた。
「特に大佐は、こう見えて結構神経質だから、必要に迫られれば誰より気配に敏感ね。…ほとんど眠れていないのではないかと思うくらい。」
これには、エドワードもいささか驚いた。
「そうなの?」
…ほんとにコイツが?
目を丸くするエドワードに、リザがおかしそうに頷く。
「ええ。…今は、あの頃ほどではないと思うけど。」
あの頃って、イシュヴァール…? と、尋ねることはしない。
ただ、エドワードは人差し指で大佐の横顔を指さした。
「…これ? …そこらの子供より警戒心なさそうに見えるんだけど。」
リザがクスクスと笑う。
こんなに穏やかな顔で笑うリザを、エドワードは多分見たことがない。
いつも軍服姿で姿勢良く立っているホークアイ中尉とは、全く違う空気が彼女を包んでいる。
「大佐は、前はたとえ味方の人間でも、テントの外に気配を感じるたびに起きていたわ。眠っていられるのは、側に中佐がいるときだけで、それでもテントの中に誰か来ると目を覚ましてた。」
「…へぇ…。」
まじまじとロイを見つめるエドワードに、リザは微笑んだまま続ける。
「今も基本的には変わらないのかもしれないけど、…少なくとも、信頼できる人間は増えたんじゃないかしら。」
エドワードくんもね、と、続けられて、エドワードは再び目を丸くした。
「…起きないでしょう?」
微笑まれて、エドワードは、あ、うん…とぎこちなく頷く。
一度ロイを見てから、リザへと視線を向けた。
「中尉がいるからじゃないの?」
リザは僅かに首を傾けて、考えるような眼差しをした。唯一風に晒されているリザの前髪が、ふわりと揺らぐ。
「…気休めの番犬くらいよ。気を許していない相手に寝顔を見せるような人じゃないもの。そんな人が近づいたら、私が居ても居なくても自分で起きるわ。」
「…ふーん。」
呟いてから、エドワードは気づいた。
味方の気配さえ警戒していたというのは、つまり…そういうことだろうか、と。
なんとコメントしたらよいかわからず、複雑な視線をロイに向けたエドワードに、リザは小さく笑みを零すと、そっと身体を動かして、幹から身を起こした。
最初にリザが言った通り、ロイの体重のほとんどは幹が支えているらしい。
リザが離れても、少し傾いた程度で、ロイは目を覚まさない。
「アルフォンスくんも同じじゃないのかしら。」
「同じ?」
「番犬の側だから。」
「…って、それ、安心して寝こけるってこと?」
「そう。」
「中尉……。」
なんとも言い難い表情でリザをみたエドワードに、リザはクスリと微笑んだ。
「早く、またそんな日が来るといいわね。」
「……うん。」
まるで母親に言われたかのように、戸惑いつつも素直な気持ちで頷いたエドワードにもう一度笑って、リザは向きを変え、膝をついた。
「15分経ったわね。」
そう言って、ロイの肩に手を掛ける。
先程感じた柔らかな空気は、微かに名残だけを残して霧散していった。
「大佐、時間です。マスタング大佐。」
揺するリザの手に、ロイは、うぅ、と小さく唸る。
「大佐、起きてくださらないと困ります。」
幾度か揺するが、むずかるように首を動かす程度で、一向に瞼を開けないロイに、エドワードは、やはり本当にこいつは軍人なのか? と首を傾げた。
「寝穢いなぁ、ったく。」
エドワードが、反対からロイを突付く。
「起きろよー。中尉困ってるぞ。」
反応がない。
外でこれって、一般人より熟睡してないか? と、エドワードが先程の話を疑問に感じたとき、中尉が溜息を吐いて手を離した。
「中尉…?」
まさか諦めてこのまま寝かせておくわけでもないよな、と、目を上げたエドワードの前で、ガチャリ、と金属音がなった。
「え…?」
中尉の指先が、器用に銃を扱う。
「大佐、それ以上寝たふりを続けるなら、実力行使に出ますよ。」
「…ちゅ、中尉…?」
目を丸くするエドワードに、中尉は、悪戯っぽくウインクを返す。
それから、キッと眼差しを鋭くした。
「カウントします。“3”…」
「いきなり“3”なのか!?」
バサリと音を立てて飛び起きたロイに、中尉は銃を下ろして深い溜息を吐く。
エドワードは、呆気に取られてロイを見た。
「……たぬき寝入りかよ…。」
その声に、ロイが今気づいたとでもいうように、エドワードを振り返った。
「…おや。」
「起きたか、おっさん。」
「誰がおっさんだ、誰が!」
全く、相変わらず口の悪い…。
言いながら、まだ緩慢な動作で、ロイは目を擦る。
「私はどのくらい寝ていた…?」
「2時間ほど。」
「そうか。」
パサリと髪をかきあげて、一息に立ち上がった。
パンパンと軍服の後ろを叩くロイを、リザが当たり前のように手伝う。
エドワードも同じく立ち上がりながら、その様子を黙って見ていた。
「ありがとう、中尉。この後は?」
「会議まではまだ時間があります。エドワードくんが報告書を持ってきていますので、少しご覧になられては?」
「ほう…。」
ロイが、エドを振り返る。
「今度はどこに行っていたんだね?」
「ん、ああ、南だよ。」
「また事件を起こしたらしいな。」
「オレ達が起こしたみたいに言うなよ! オレ達は巻き込まれたの!」
「それはそれは災難で。」
わざとらしく同情するロイに、ガーッと吠え掛かろうとしたエドワードを、リザが留める。
「大佐、お茶を入れますから、続きは上で。」
「ああ、そうか。じゃあ移動するか。」
「…ったく、逐一中尉に面倒みられてんのな、アンタ。」
呆れ顔で二人に続くエドワードに、ロイは目を瞬いた。
何を思ったか、ロイはおもむろに胸を張る。
「ふふん、いいだろう、私の特権だ。」
「威張んな!」
「威張らないでください!」
エドワードとリザに同時に怒鳴られて、ロイは情けなく一歩引いた。
主にロイが堪えているのはリザの声である。
「しょーもねぇな。」
呟いたエドワードをロイが睨むが、その隣からリザに睨まれて、ロイはすごすごと引き下がった。
気を取り直すように、ひとつ呼吸している。
「で? 一人じゃないんだろう? アルフォンスくんはどうしたんだね。」
尋ねられて、エドワードは、ああ、と頷く。
「途中にいるんじゃねーかな。さっきハヤテ号とフュリー曹長に会ってさ。」
「それならフュリー曹長も休憩から戻る頃だから、執務室の方にいるかもしれないわね。」
「そっか。中尉は昼休みは?」
「今もらったわ。」
「大佐のお守りで終わってんじゃん。」
クスリとリザが笑う。
「そうね。」
「…そこで肯定するのかね、君は。」
眉を寄せたロイに、リザは戸惑いなく頷く。
「当然です。事実ですので。」
ロイが溜息を吐いた。
「…食事は、上に買ってありますから。」
「ああ、うん。すまないね。」
「いいえ。きちんと仕事してくださっていますから。」
にこりと微笑んだリザに、ロイは再び肩を落とした。
エドワードは目一杯呆れた眼差しをロイに向けながら、リザに問いかけた。
「毎日こんなんなわけ?」
「…そうね。」
しょぼくれているロイを、一歩後ろの死角から、リザは見つめて目を細める。
「…毎日こんなん、よ。」
視線を返して、エドワードに微笑んだリザからは、先程中庭に満ちていた新緑と穏やかな陽射しの匂いがした。




〜fin〜



2006.1.28 文月 優


MENU