苗木
結局、リザ達が制圧した廃屋に居たのは、逃げ込んだ4人と、仲間が4人。
彼らを拘束し、館の見回りを終えてから、リザ達は軍が到着するのを待って、庭と思しき僅かな空間で空を見上げていた。
夏の終わりの星空だ。
爆弾は、ロイの錬金術によって無事に解体されていた。他の爆薬を使われなかったせいか煙ることもなく、前日の大雨後の澄んだ空気も手伝って、ここセントラルでは稀にしか見られない星の数を散りばめている。
夜風に髪を任せて、リザは目を細めた。リザの首元には、バレッタから姿を戻したネックレスがある。…バレッタのままでもよかったのに、と、リザは思って、密かに笑みを零した。
と、すぐ後ろで、ガサリと葉の揺れる音して、肩に何かを掛けられた。
「……。」
無言で振り向いたリザに、何やらロイが苦笑する。掛けてくれたのは、ロイの上着らしい。
ロイはリザを館の側へと促した。
「幾らこの季節でも、夜に外でその格好は寒いだろう?」
リザは自分の姿を見下ろす。
ドレスはやや汚れていたが、着たときのままの光沢と軽やかさを残している。ストールは、自宅を飛び出したときに放り捨ててきてしまった。
むき出しの肩。ほんの数時間前、自宅の姿見の前では気になってしかたがなかったそれも、今では全く気にならない。
掛けられた上着の影で、左の二の腕に白いハンカチーフが巻きつけられていた。
目の前の男がやったものである。
リザの視線が向いている場所に気づいたのだろう。ロイは微かに眉を顰める。
ロイはリザの肩を押し、風下になる裏口階段へと導きながら口を開いた。
「あの戦闘で、それだけの傷というのはたいしたものだな。」
「…どこがですか。」
思わず返してしまった言葉に、リザは俯いた。ロイは、恐らく純粋に褒めてくれたのだ。それなのに素直じゃないと、自分で思ったからだ。
飄々として、いかにも婦人受けしそうな笑顔を確信犯で浮かべる男。ほんの数刻前までは、嫌いな類の人間だったはずなのに。
リザは唇を歪める。
――この、怪我のせいで。
『――リザッ!』
焦ったように呼ばれた声は、そういえば、呼ぶことを許可した覚えのないファーストネームだった。
パーティー会場では、ミス・ホークアイ、と気取って呼んでいたくせに。
リザを振り向いた彼の頬を銃弾が掠め、何をしてるのと思ったときには、抱えられて物陰に押し込まれていた。
『なっ…!?』
『大丈夫か!?』
『は…?』
リザは面食らった。
だが彼は、リザの反応に頓着することなく、慎重な仕草でリザの二の腕を掴む。リザは、彼がこんなところに隠れた理由を、ようやく理解した。
…こんな怪我、たいしたものじゃない。
銃弾がほんの少し掠めただけで、止血を急ぐようなものでもなし。後で包帯で縛っておけば治る程度の……見ればわかるではないか。
実際リザは、すぐにでも飛び出していこうとしていたし、そもそもこんなところに一時避難する気などなかったのに。
だから文句を言おうとして、リザは彼を見上げたのだけれど。
次の瞬間、リザは相当な驚きを味わうことになった。
――なんて顔をしてるの。
驚きは、間を置かず、呆れに変わった。
この男は、さすがにもう、リザを深窓の令嬢だなんて思っていない。けれども戦闘に、傷を受けることに慣れていないだろうリザを慮り、軽傷にも関わらず、リザ自身が受けたショックを気遣う。恐らくはその動揺が、新たな怪我を招くことを懸念して。
あげく、まるで自分が撃った弾丸でリザが怪我をしたかのような顔をしていた。
――この程度の怪我で動揺するくらいなら、突入しようなんて言わないわよ…。
リザは、ほんの一瞬、状況を忘れてクスリと笑みを零してしまった。
目を丸くしているロイがおかしい。
「リザ…?」
リザは、丁度いいとばかりに、銃に弾丸を補填した。幾つか装備の場所を移動する。
「…大丈夫ですから。残りは一気に行きましょう。」
言って、ロイの返事を待たず、リザはタイミングを計り、再び物陰から飛び出した。
「おい…っ」
焦ったような声。
だがさすがにすぐに切り替えたのだろう、本来の心地よい緊迫感を伴い張り詰める気配。
リザは、銃を構えながら、口元に笑みをはく。
ロイに援護をしてもらうのは、なかなかに快適だった。
「…ミス・ホークアイ?」
呼ばれて、リザは腰掛けた階段から、彼を見上げた。
ロイは、リザの気分を害したかと、困ったような顔でリザを見下ろしている。
月明りを遮るように、リザの前に立って。夜風から庇い、恐らく周囲の気配にも気を配っている。
過保護にされることは好まないはずだったのに、ロイの気遣いに気づいても、今、リザはけして不快ではない。そのことがおかしくて、リザは微かに笑った。
「…リザ…?」
一体どちらで呼ぶつもりなのだか。
恐らく本人も迷っているのだろう、伺うような問いかけに、リザは微笑む。
はっきりとした表情の変化は、彼にも見えたようだった。
(ああ…これじゃあファーストネームを許可したようなものだわ…。)
馴れ馴れしい男は嫌いで、家族以外の男性にリザと呼ばれて拒否しなかったことなど、今まで一度だってなかったのに。
…でも、やっぱり嫌ではないのだ。
まぁいいか、と、苦笑してしまう程度には。
肩に掛けられた上着は、パーティーからずっと、彼が着ていた濃緑の軍服…士官学校の制服だ。
――温かい。
「…ありがとう。」
初めて、素直に言葉が出た。
目を丸くして、幼いくらいの顔で驚いているロイに、リザはクスクスと笑う。
気取った顔ばかり見せていた彼が、いつのまにか素に戻っているようなのも、リザの機嫌を上向かせる。
素のままの方がずっといいのにと思った。
…本当に、ずっといい。
ロイは、困ったように指先で頬を掻く。リザが自分の表情に笑ったのだと、気づいているようだった。
「…私は、そんなに笑われるような顔をしているか?」
照れたように尋ねてくるから、リザは余計に笑ってしまう。
「ええ。おかしいです。」
「おかしいって…」
情けなく眉を寄せたロイに、リザは微笑んだ。
「パーティー会場の貴方と、随分違うわ。」
ロイは、それを見て目を瞠り、やがて諦めたように溜息を吐いた。
それから、ふいと視線を背けると、仕返しのように告げる。
「…私だって、君がそんな顔を私に向けてくれるなんて思っていなかったよ。」
「……そんな顔?」
きょとんと首を傾げたリザに、ロイがちらりと眼差しをよこした。
「…笑顔だ。」
短く答えたロイに、リザは瞬く。
「私、笑っていませんでしたか?」
尋ねられて、ロイは苦笑した。
「会場でかい? 笑っていたよ。見事に美しい作り笑顔でね。」
リザは、言葉に詰まる。確かにそうだっただろう。だってロイのことは気に入らなかったし、許可もなく事前の話もなくリザを利用した祖父にも怒っていた。
「…あなたに言われたくありません。」
憮然と呟いた言葉に、ロイが笑う。
「そうだな。」
「……今まで、そんなふうに言われたことなんてないのに…。」
思わずといったふうに零れたリザの呟きに、ロイは、ああ、と納得したように頷いた。
「あれだけ綺麗に微笑まれたらね。でも君、丁度会場の扉が開いた瞬間、ちゃんと笑っていただろう?」
「…扉が開いた瞬間…?」
「そう。君のお祖父様に向かって微笑んでた。」
「…あ。」
本当はそのときだけではない。一瞬ずつでも垣間見える素顔が、ロイは気に入っていたから。余計に違うものが目に付いた。
「本物を見たら、偽物はわかるよ。」
楽しそうに言われて、リザは脱力感を覚える。
「……そうですか。」
クスクスとロイは笑う。
「そうだ。気をつけた方がいい。」
「…そうします。」
溜息を吐いたリザに、ロイは、ああ、と頷いた。