だから雨の日は無能


-2-



急に静かになったテント内に、リザとヒューズは思わず顔を見合わせる。
妙な脱力感が襲って、へらりと二人で笑みを零した。
…ぽすん、と、再びヒューズが、リザの頭に手を乗せる。
「…中尉。」
困って呼んだリザに、ヒューズは穏やな眼差しを向けた。
「いいんじゃねぇか?」
「え……?」
リザは、意味がわからず、気の抜けた声を漏らした。
と、ヒューズが手を下ろして、ふわりと苦笑する。
「俯いて立ち止まってるようなヤツなら今はいらないけどな。感情を全部そぎ落とす必要なんか、本当はないはずだろ。」
シビアな言葉を混ぜながらも、緩く細められた目で語る。
リザは、テント越しに空を見上げるように視線を上向けたヒューズの横顔を、じっと見つめた。
「オレはグレイシアが笑うと安心するぜ。オレが泣けないことで泣いてくれると安心する。なんつーかなぁ…いろんなこと、忘れずにいられる気がするんだ。……ロイにも、そんな誰かがいてくれたらいいと思う。」
そこまで言って、ヒューズは慌てて顔を上げる。
「あ、別にリザちゃんにアイツと付き合えとか言ってるわけじゃないぜ? あんなタラシにリザちゃんはもったいねぇ!」
リザは思わず吹き出した。
「なんですか、それ。」
ヒューズも、軽く笑い声を立てる。そしてまた、静かに微笑んだ。
「……リザちゃんがいるから、アイツはほっとしてるんだ。」
「え…?」
再び目を丸くしたリザに、ヒューズが、慈しみと呆れを含んで苦笑する。
「ロイは…アイツはバカだから、きつくなるほどいろんなモン押し殺して、平然としちまうだろ?」
「……」
…それは、なんとなくわかる。もっとも、その点はヒューズも同じだと思うけれど。
「…そう、ですね…。」
呟くように返事を返したリザに、うん、とヒューズが頷いた。
「そういうとき、さっきみたいなリザちゃんが居てくれたらいいなと思ってな。」
リザは、戸惑い、視線を落とした。
「私は、そんなふうには…。……グレイシアさんみたいには、笑え…ません、し…。」
いつかヒューズが見せてくれた写真の中、優しい笑顔を浮かべていた女性を思って、リザは困惑する。
だが、ヒューズは、「へ!?」とマヌケな声を出したかと思うと、小さく吹き出した。
「中尉?」
きょとんとしたリザに、「わりぃわりぃ」とヒューズは手を振った。
「うーん、そりゃグレイシアの笑顔は最高だけど、リザちゃんだってさ、笑うとすっげーかわいいと思うけどなぁ。」
さらりと言われて、リザは眉を寄せた。
なんだろう、ヒューズといいロイといい。…やはり類は共を呼ぶというのは本当なのだろうか。
ああそういえば、ヒューズがグレイシア一筋だと知ったのは、リザがロイと知り合った後…もちろんヒューズとグレイシアが付き合いだした後のことで、それ以前はといえば…と、リザは眉間に力を入れた。
当時から有名人だったロイとヒューズ。噂はもちろん星の数…で、内容はといえば、そっくりだったような…。
思い返して、自然と溜息が零れた。
「……中尉も、グレイシアさんと付き合う前は、少佐に負けず劣らずな噂がたくさんあったんでしたね。」
顔を上げてニコリと笑ったリザに、ヒューズは目を見開くと、あからさまに慌てた。
「かっ過去は過去! 当時のオレの世界には、まだ女神が舞い降りてなかったんだよ! 今はグレイシア一筋だって! …て、あ、いや、そーじゃなくてぇ!」
「…なんですか。」
いきなりペースを取り戻しているリザに、ヒューズは苦笑する。
「そーじゃなくて…なんだっけ? …ああ、そうだ。笑わなきゃいけないとかじゃなくて、なんつーかほら、素直な感情っていうかさ。しっかりしなきゃなっつー葛藤も含めて。そういうもんに、安心するんだよ。」
「…よく、わかりませんが…。」
ヒューズは、「あ〜…そうかもなぁ…」と唸った。
それから、ひとつ息を吐いて、頭を掻いて、口調を戻す。
「実際、なんだかんだと人間らしい葛藤抱えてくより、ザックリ切り捨てた方がきっと楽なんじゃねぇかな。いつまでも葛藤抱えてけって、きっつい役回りだろ。」
「そうでしょうか…。」
リザは首を傾げる。
「誰でも、抱えているんじゃありませんか? ただ、上手く隠せてしまう人と、隠しきれない人とがいるだけで。」
ヒューズは、細い目を緩めて頷いた。
「かもしれねぇな。…でも、やっぱりさ、人が垣間見せる感情に癒されることってあると思うぜ。」
当然、逆の影響を与えることもあるだろうけどな、と。
ヒューズが続けた言葉に、リザは考え込む。
いずれにしても、頭で考えて行動できることではないような気がした。
リザは、ただもっとしっかりと、前を向いていたいと思う。
ロイのように、ヒューズのように。未来を見据える眼を持ちたいと。
「…悪い、変なこと言ったな。」
「いえ。」
リザは我に返って、首を振った。
「…少しだけ、わかるような気がします。…ただ、私は軍人です。それに、私は私でしかいられません。」
役に立ちたいとは思っても、ヒューズが言うような方向で人の力になれるようなゆとりは、持ち合わせていない。素直な感情の発露を自分に許せるわけでもない。自分を支えて、自分を前に進めるだけで精一杯だ。
小さいわね…と、思いながら微かに自嘲したリザに、だがヒューズは、それが一番いいんだろうと笑った。
…ほとりと、沈黙が落ちる。
肩が震えて、リザは思わずあたりを見回した。
テント内の明るさは同じだけれど、冷えてきている。
ヒューズも気づいたのだろう。
「ゆたんぽ、早く戻ってこねーかなぁ。」
と、ロイが聞いたら怒りそうなことを、まるでその様子を思い浮かべているかのように楽しそうに呟いた。
クスクスとリザが笑うと、ヒューズがリザを見て目を細める。
「ほらな、やっぱり。」
「? …なにがやっぱりなんですか?」
「いんや、別に〜。」
「中尉…?」
ヒューズは、いつもの彼らしい笑みでにしゃりと笑う。
「なんでもねぇ。それよりリザちゃん、雨の日は無能大作戦、協力頼むぜ?」
「あ、はい。…協力?」
首を傾げたリザに、ヒューズが「おう」と頷く。
「アイツ、どーもうっかりしてるっつーか、抜けてるからな。作戦忘れてきっちり錬成しちまいそうでよ。」
「…そうですね。」
想像して、クスリとリザが笑みを零すと、ヒューズが、うんうんと頷いた。
「目一杯強調してやろうぜ。『雨の日は無能』ってな。」
「わかりました。」
「おまえが無能になってても、オレ達でしっかりやれるんだぜってさ。」
「はい。」
じゃねーと、あいつ休めねぇから…と、そこまで口にされることはないけれど、茶化した言葉の中に含まれる気遣いが、リザを微笑ませる。
笑い合う空気は、テント内を侵食してくる冷気にも負けず、とても温かい。
「…絶対、必要になると思うからよ。」
ポツリと落とされた呟きにも、リザは「はい」と目を細めて頷いた。
きっと、これからもっと状況は厳しくなる。戦争という意味でも、ロイの歩むであろう道という意味でも。
「……ヒューズ中尉こそ、マスタング少佐には絶対に必要な人ですね。」
告げると、まるで先程のリザのように、今度はヒューズが目を丸くした。
「えー、そうかぁ?」
思いっきり疑わしそうに聞いてくるのに、リザが笑いながら頷く。
「…そーかねぇ…。オレが居なくても、アイツはしっかりやると思うけどなぁ。ただオレが居たほうが、ちったぁ器用に丸く物事が運べるって程度じゃねぇか?」
ほら、アイツ不器用だから。
言われて、リザはクスクスと声を立てた。笑みに紛れて、ひとつ小さくくしゃみが出る。
まさか本当にそれだけの存在のはずがない。ロイにとって、自分が無二の存在であるという自信は持っているだろう。
自分もそうなれたらいいと、リザは思う。そのための努力は惜しまないから。だからいつか。
と、ヒューズがおもむろに腰をあげ、上着を脱ぐと、バサリとリザの頭に被せた。
「ヒューズ中尉!?」
驚いたリザが顔を上げると、目の前で、ヒューズはまた、どすりと座り込む。
「上着、置いてきてるんだろ?」
「取ってきます!」
今日の作戦で濡らしてしまったのだ。どうせ防寒の役には立たないと自分のテントに残してきたことを、リザは目一杯反省する。
借りるわけにはいかないと慌てて立ち上がるリザを、ヒューズが苦笑して留めたところで、ロイがテントに戻ってきた。
「楽しそうだな。外まで声が聞こえた。」
「お疲れ様です、少佐。」
立ち上がってはいるものの、頭に上着を被ったままで敬礼したリザに、ロイが苦笑する。
その足元で、座ったままのヒューズがおざなりに手をあげた。
「おう、おかえりゆたんぽ!」
「誰がゆたんぽだ、バカたれ!」
ロイは、リザに向けていた苦笑を消すと、ツカツカとヒューズに歩み寄って、遠慮なくその足を蹴飛ばした。
「いいから早くあっためろよ、ロイ。」
「おまえなんか震えてろ!」
「生憎オレはこの中じゃ一番寒さに強い!」
「はっおまえはお子様体温だからな!」
「えー、お子ちゃま顔に言われたくねーなぁ。」
不満をのんきに呟いたヒューズの横で、ぽっと焔が音を立てて灯る。
「うお!? 何すんだ、このノーコン!」
「すまんな、今日は調子が出ないのだよ。」
ぽっ、ぽっ、と音を立てて増える小さな焔が、ゆらゆらと不安定に揺らめきながらヒューズの周りの際どい位置を移動する。
「バカ言うな! おまえが焔のコントロールできないなんて今まで聞いたことねぇぞ!」
「よくわかってるじゃないか。燃やされたくなければ少し口を慎め。」
えらそうに言うロイもロイだが、
「やーだね!」
そのロイに向かって舌を出すヒューズもさすがだとリザは関心した。
…どういう意味でさすがなのかは深く考えたくないが。
そこまで考えて思い出す。
上着を被ったままだった。
「ヒューズ中尉、これ、ありがとうございます。」
パサリと頭から下ろした上着を差し出すと、いえいえーと焔から逃げ惑うヒューズが器用に受け取る。
「なんだ、おまえのだったのか。」
きょとんと手を止めたロイに、ヒューズがニッカリと笑う。
「そーよ、オレのだったのよん。やだわロイさん、ほんとにやきもち?」
「なんでそうなる! 誰もそんなことは言ってないだろうが。」
「またまたー。で、どっちにやきもちかしらん?」
「ヒューズ! いい加減その口調はやめろ! 鳥肌が立つ!!」
呆れながら怒鳴るロイと、飽きることなくロイで遊ぶヒューズに、リザは堪らず頬を緩める。
ロイにヒューズという存在があって、よかったと思った。
…この場所で、二人と共に在ることができてよかった、と――思った。



〜fin〜




ロイは数年後、リザがたくましくなったことを喜びつつ、
あの頃はかわいげがあったのになぁ…とか
思ってたそがれてるかもしれない…(^^;)。

2006.1.18 文月 優


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