君に会いに行こう




- 01 -




「閣下〜」
間延びした声で呼びかけれれて、ロイは顔を上げる。
人が書類と奮闘しているのに、暢気なヤツだなと思ったが、そんなことは今更だ。
「おまえなぁ…。」
ロイは呆れた声を出して、溜息を零した。手にしていたペンを机に放り、肩を解すように鳴らせば、ごきごきと硬い音がする。
一体何時間集中していたのだろうか。気がつけば西日が空を染め始めていた。
「もうこんな時間か。」
「気づかずにやってたんですかい。」
尋ねられて、ああ、と頷いた。
大総統閣下の執務室に、ノックの後返事も聞かずに入ってくる部下などそういない。昔から同じようにロイの傍にいる者たちだけは、ロイの地位をわかっているのかいないのか、相変わらずロイを怒りもするし、支えてもくれていた。
「これ、今日最後の書類です。」
言って、ばさりと机に置かれた束は、せいぜい2、3センチ程度のもの。ロイは、ふっと口元を緩めて、そうか、と頷いた。
「…意外でしたね。あ、いやそうでもねぇか。」
「なにがだ?」
突然呟かれて、ロイは顔を上げる。ずんぐりとした部下、ブレダは、いや…とどこか複雑そうに肩を竦めた。
それから、もしかしたらロイに問いかけたこととは違うのかもしれないことを答えた。
「…賭けてたんですよ、アイツらと。」
アイツらというのは、ハボックたちだろうか。ハボックと、フュリーと、ブレダと、ファルマン。
「何をだ?」
どうせろくなことじゃないんだろう、と思いつつ返すと、ブレダは小さく笑った。
「ホークアイ中佐がいなくなったあと、閣下がちゃんと仕事するかどうかを。」
ロイは、一瞬驚いたように目を見開いてから、ぎゅっと眉を寄せる。
「上官を賭けのネタにするとはいい度胸だな。」
唸るように告げたが、ブレダは悪びれるでもなくニヤリと笑った。
「でもいいネタでしょ? 真っ二つに割れましてね。」
ロイは、つまらなそうに音を立てて椅子にもたれた。
「その顔ということは、おまえは当たり組か。」
「おかげさまで。」
言われて、ロイは溜息を吐いた。
「全く、私の部下は私をなんだと思っているんだか。」
ぼやくように言ったロイに、ブレダは楽しそうに笑って、形ばかりの敬礼を返した。
「敬愛しておりますよ。」
「わざとらしいんだ、バカ者。」
ロイは、下手なお世辞を…嘘だとは思わなかったが、ばさりと切って捨ててから、ブレダに視線を戻した。
ロイは真面目に仕事をしている。息抜きもなく、ではないが、少なくとも書類が滞るようなことは一切していない。それを確認したうえで、賭けに勝ったというブレダは、ロイがこうすることをわかっていたのだろうに。
「それで、どうして意外なんだ?」
尋ねながら、ロイは再びペンを取り、ブレダが持ってきた書類に手を伸ばした。
目を通して、サラリとサインを書き込む。とても読んでいるかには見えないスピードでも、慣れた彼の部下はその様子に満足そうに目を通した。ロイの書面を読む速度を熟知しているのだ。
「いやぁ、まぁ中佐の前であそこまでサボりまくってたのは甘えっつーか、そういうのもあるんだろうなぁとは思ったんですけどね、まさかここまで真面目になってくれるとは思わなくて。」
ロイの手は、ブレダの答えの既に前半部分でピタリと止まっていた。
甘えってなんだ!?
叫びかけた自分を、慌てて抑える。ロイは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「私はもともと真面目なんだ。嘘だと思うなら…」
誰かに聞いてみろ、と言おうとして、ロイは、はっとした。
ヒューズはとうに居ない。そして、今はリザもこの場所から居なくなってしまったのだ。
「……そうか…。」
思わず独り言のように呟いた。ロイの昔を知っている人は、いつのまにかもう居ないのだ。
クスリと、思わず笑みがこぼれた。
「そんなに時間が経ったかなぁ。」
続けたロイに、賢い部下は小さく肩を竦めた。
「まぁ。昔は閣下が三十路を越えるって騒いでいたのに、いつのまにかオレも越えますからね。」
「私がいつ騒いだというんだ。」
憮然と言い返したロイに、ブレダは「騒いでませんでしたかねぇ」ととぼけた。
「しかし、そういや聞いたことあります。」
「あ? 何をだ?」
ブレダは思い出すように視線を窓の外に送った。
敷地はほぼ中央司令部に隣接しているのだ。ブレダも昔通った士官学校を囲む森は、大総統執務室からも遠くに見える。
「閣下は真面目だったって。でもヒューズ准将が不真面目で、2年になる頃には閣下もいつのまにか教官達の溜息の対象だったらしいじゃないですか。」
ロイは、もう10年以上も昔のことなのに、鮮明に思い出せる時間を脳裏に描く。
「…誰がそんなことを。」
「オレが聞いたのは中佐ですよ。」
「ホークアイ中佐か? なぜ…。」
ブレダは、ひょいと肩を竦めた。
「さぁ? 中佐がなんで知ってたのかまではオレにはわかりませんて。」
「……そうか。」
それもそうだな、と、ロイはいつのまにか乗り出していた上体を戻して、書類の処理を再開した。
ブレダは退室するでもなく、その様子を眺めている。ロイがやって時間がかかるほどの書類ではないのだ。終わるのを待って、書類を持ち出すつもりだろう。
今日はロイ自身も予定がある。さっさと書類を終わらせようと、書類に集中し始めた頃、ブレダが迷うようにしながらも、ポツリと口を開いた。
「…会ってないんですか。」
ロイは一瞬だけ手を止めて、視線をあげる。心配そうなブレダの視線とぶつかった。
何事もなく視線を戻して、手の動きも再開させる。
「誰に。」
尋ねたロイに、ブレダは少しいらだったようだった。
「決まってるでしょうが。ホークアイ中佐にですよ。」
「会っていないよ。彼女は来ていないだろ?」
当たり前のことを聞く、と、ロイが返せば、ブレダは彼にしては珍しく、やや声を荒げた。
「そんなことはわかってます! 彼女はもう2週間も前に退官してるんですから。ここでの話なわけがないでしょうが。外で! ですよ。」
ロイは、クスリと小さく笑った。書類はもうあと少しだ。
「会っていないよ。おかしなことを言うね。」
ブレダは、眉を寄せて押し黙った。
「せっかく退官したのに、プライベートでまで元上官に会おうとする者などいないだろう。」
言ったロイから、ブレダはむすりとした顔で視線を逸らした。
「そりゃ普通はそうかもしれませんけどね。…違うと思ったんですよ。」
「私たちが?」
どこか楽しそうに、クスリとロイは笑った。
「付き合っているようにでも見えたかな。」
首を傾げると、ブレダは諦めたように深い溜息を吐いた。
「いえ、全く。……でも、違うと思っていたんですよ。」
ブレダはそう繰り返した。
付き合っていなくても、想い合っていることはよくわかったから?
ブレダは言わなかったけれど、そういうことだろうか。ブレダの視線や表情が語っている。
ロイは、考えて、また微かに笑った。
書類は終了だ。できあがったそれを纏めて、ブレダに渡す。受け取ったブレダは、まるで自分が失恋でもしたような顔をしていた。
「…いいんですか、会わなくて。」
尋ねてくるブレダに、ロイは苦笑する。随分、心配されているようだと。
ふと思いついて、ロイはブレダを見上げたまま口を開いた。
「そういえば、話したことはなかったと思うが、私には婚約者が居てね。」
瞬間の、ブレダの顔は見物だった。
ばさばさーっと音を立て、大総統執務室の床には派手に書類が散らかった。
「……そこまで驚いてくれるとは思わなかったな。」
ものすごく驚くと思っていたロイは、笑い声を立てながらそう言った。
ブレダは、慌てて屈んで書類を集めながら、ロイを見上げる。
「冗談でしょうね!?」
凄い聞き方だ。
ロイはますますおかしそうに、いや、と首を振った。
「本当だよ。もう10年以上前からだ。」
「な…!」
絶句したブレダは、書類を集める手も無意識に止めて、眉間に皺を寄せた。
ああ、怒っているなとロイは思う。そこまで、ロイとリザのことを信じてくれていたのだと思うと、笑みしかこぼれてこない。ありがたい部下を持ったものだと。
「……それにしちゃ、随分遊んでいませんでしたか。」
ロイは目を見開いて、わざとらしく肩を竦めた。
「ほとんど仕事絡みだがね。ちなみに、彼女は全部知っているぞ。」
「あんたが!? 律儀に報告していたとでも!?」
絶対信じないと言いたげな問いかけに、ロイは心外だと苦笑した。
「報告していたわけではないが…千里眼だからなぁ。」
「……じゃあ、」
ロイを睨みつけるようにしてブレダが何かを言いかけたとき、執務室に、ノックの音が響いた。
心当たりがあったロイは、すぐに椅子から立ち上がる。我に返ったブレダが、慌てて書類を纏めて立ち上がった。
「ああ、別に退室しなくて構わんよ。というか、ちょっと待て。」
ブレダを留めて、大総統であるロイ自らドアを開けた。
ひょこりと顔を覗かせたのは、ブレダも良く知っている人物だ。
「やぁ、マスタングくん。仕事終わった?」
ロイたちが東方司令部に居た当時の司令官のグラマンだった。彼は今、大将の地位にある。大総統の地位に彼を推す者は多かったのに、がんとして首を振らなかった人物だ。
年老いた自分にできることは限られる。むしろ若い大総統を支える役を担いたい、と、その地位にロイを据えた。
「終わりました。遅れるわけには行きませんから。」
そう言って笑ったロイに、グラマンは満足そうに頷いた。
「どうぞ。支度しますので、一度入ってください。」
促したロイに頷いて、グラマンはのんびりとした足取りで執務室の足を進める。背後でドアを閉めたロイが、ブレダを振り向いた。
「ブレダ、ちなみに、私の婚約者はグラマン将軍のお孫さんだよ。」
――と、そう言いながら。
ブレダは再び書類を落とすかと思うほど驚いた。逆に書類を持つ手に力が入り、ぐしゃりと音を立てる。
ロイは苦笑して、書類を指差した。
「ぐちゃぐちゃにするなよ。もう一度やり直している暇はないからな。」
「……出掛けるんですか。」
尋ねるブレダに、ロイは頷く。
「久しぶりに彼女に会いにな。」
「アンタは…!」
こみ上げてくる感情のまま、ブレダはそう声にした。ハボックならばともかく、ブレダがロイをアンタ呼ばわりすることは珍しい。
と、グラマンがおかしそうに笑って、ロイを振り返りつつ、応接のソファに収まった。
小柄な彼が座っても、大総統室に置くには硬すぎるソファは音を立てない。
「あれ? マスタングくん、言ってなかったの?」
てっきり、もう話してると思ったんだけど、と続ける。
ロイは、自分を睨んでいるブレダにふっと笑って、グラマンを振り向いた。
「今話しかけていたんですが。とりあえず、着替えてきます。」
言って、執務室に隣接しているロイ専用の部屋に足を向ける。と、ブレダが唸るように問いかけた。
「まさか…地位がほしかったからですか?」
ロイは、ブレダを振り向き、まじまじと彼を見てしまった。
顰められた顔に、ロイはとても嬉しくなる。それは彼のロイへの信頼の証だ。けっして、ロイは結婚を地位に利用したりはしないという。だからロイは、すごい顔で睨まれているにも関わらず、柔らかく笑った。
「まさか。そんなことは考えたこともないし、彼女はそんなことを許すような人でもないよ。」
「…閣下が、惚れたとでも?」
ストレートな問いかけに、ロイは目を見開いた。
くっと肩が揺れる。答えてもいいが、これからのことを思うと少し気恥ずかしい。
そう思ったが、やっぱりロイは、正直に答えた。
「そうだな。とてもね。」
「……」
ブレダは拳を握り締めて黙り込んだ。
ロイは上機嫌にそれを眺めた。真実を知ったならば、彼はどんなふうに反応するだろう。
沈黙を破ったのはグラマンだ。
「マスタングくん、ブレダくん達の仕事ももう終わるのかな?」
ロイは、視線をグラマンに戻して頷く。
「恐らくは。今日は時間に余裕を持たせてあるので、大丈夫だと思いますが。」
答えたロイに、グラマンはきょとんとして、それからおかしそうに笑った。
「なぁんだ、私が誘おうと思ったのに。」
「連れて行くつもりでした。」
残念そうなグラマンに、ロイが悪戯っぽく笑う。
「うん。それがいいよ。孫も喜ぶ。」
ここでその名前を口にしないあたり、グラマンも人が悪いとロイは思う。二人して、悪戯を仕掛ける気分だった。
ロイは今度こそ着替えるために奥のドアに向かい、ノブに手をかけて、立ち尽くしているブレダを振り向いた。
「ブレダ。」
呼びかけると、敵でも見るような視線がロイを捉える。ロイの部下達は、ロイと同じようにリザをとても慕っていたから。彼女以外の人とロイが付き合うのは嫌だと、あからさまに態度で示していた。
「…紹介しよう。時間は空いているだろう。ハボックとファルマン、フュリーも連れていくから、仕事を片づけて準備をしておくように伝えてくれ。車は2台、5分後に下で。」
ブレダは、目を見開く。
だが、ロイの強い眼差しに押されるようにして敬礼した。
「アイサー。」
ロイが着替えに部屋に入った直後、ブレダも執務室を出た。







リザさんには退役してほしくないです。
てか、10年前に婚約とか、絶対そんな甲斐性ないと思う…。ありえない!

2007.9.22 ふみづき ゆう


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