ぷらいべーとびーち |
「新一くん新一くん!!」
背後から、襲い掛かられそうな勢いで迫ってくる足音と声に、新一はだるそうに足を止めた。
土曜日の昼下がり。
早く終わる授業も、下校が一日で一番暑い時間帯に重なるかと思うと、嬉しいんだか哀しいんだかわからない。
真夏の太陽光線を十分に受け、更に跳ね返している道路からは、熱気が立ち上り、ゆらゆらと遠くの景色が揺らいで見えた。
新一は溜息を吐いて振り返る。
逃げようとしても、エネルギーは間違いなく相手の方が上だった。
こういうときは、諦めが肝心である。
それは、物心ついた頃から10年以上に亘って刷り込まれた経験則だ。
「んだよ、園子?」
駆け寄ってきた、まさに夏女を地で行く園子は、後ろから慌てて走ってくる蘭が、新一の前に到着するよりも早く、口を開いた。
「ニュースよ、新一くん!蘭ったら、昨日すっごい水着買ったんだから!!」
「昨日・・・?」
そういえば、昨日の帰りは蘭が園子と買い物に行くとかで、新一は蘭たちとは別に帰ったのであった。
思い出していると、ずいっと目の前に園子の顔が迫った。
「もう!反応うするのはそこじゃないでしょ!?水着よ、み・ず・ぎ!!」
そこで、ようやく蘭が園子に追いついた。
「ちょっと園子!変なこと言ってないでしょうね!?」
熱気のせいか、やや顔を赤くした蘭が、園子の腕を取って自分の方へと引き寄せる。
そこで、ようやく新一は園子の大迫力のアップから解放された。
ほっと息を吐いてしまう。
園子はというと、さっさと蘭に向き直って、蘭をからかう体勢に入っていた。
「いやぁね、蘭!昨日蘭がどうやって水着を選んでたかを報告してただけじゃないの♪」
「園子!?」
慌てる蘭に、新一はつい視線が向かってしまう。
(・・・まだ報告されてねぇぞ。)
思わず心でツッコミを入れたものの、声に出せば何を言われるかわからないと、新一はとりあえず園子がもう少し落ち着くのを待った。
ひとしきり蘭と園子が騒ぐのを聞いていると、立ち止まったままの新一たちの横を、同じ歳くらいの数人の集団---やはり下校途中なのだろうか---が通り過ぎていく。
少し通行の邪魔になっているかもしれないと思い、新一は心持ち道の端に寄った。
と、園子が新一の動きに気づいて、再び意識を新一の方へと戻してくる。
「とにかく、水着なのよ!」
(・・・あんだよ、そりゃ。)
なにがどうとにかくなのだろう。
蘭の水着について主張したいのはわかったけれど、一体何をどう主張したいのか、さっぱりわからない。
それなのに、
「ね!新一くんもそう思うでしょ!?」
と言われても困るのだ。
新一は、呆れた顔で、溜息を吐く。
「つってもなぁー。園子、オメー何が言いたいわけ?」
さらにまくし立てられる前に、とりあえず当面の疑問くらいは解決しておこうと新一が尋ねると、園子は不満そうに唸った。
「も〜〜〜っ、鈍いわねぇ。だからね、蘭の水着を拝みに海に行こうって話よ、う〜み!」
新一を覗き込むようにして目を合わせて、園子はたっぷり溜めて、海を主張した。
「・・・・・海、ねぇ・・・。」
夏の海。
健全な男子高校生にとって、まぁ行きたくない場所ではない・・・のかもしれないが、新一にとって、海は鬼門だった。
水着に着替えて、海の家を出る瞬間から、蘭の周りには男の視線が絶えることがないのだ。
新一が3メートルでも離れれば1人、5メートルで3人、10メートルで10人と言ってもおおげさじゃないくらい、蘭に男が群がる。
確かに、蘭の水着姿は見たい。
新一だって、やっぱりそれが正直なところだ。
だが、自分は見たいが人には見せたくない。それもまた、新一の心の底からの本音だった。
「海・・・ねぇ・・・。」
もう一度呟く。
それは意図せず、複雑さのにじみ出たものになった。
蘭が、少し残念そうな顔で新一を見る。
蘭が海を好きなのは知っている。
新一だって、海は好きだ。
一緒に行きたいとも思う。
だが・・・。
そうして葛藤する新一の視界に、いきなりニョキっと園子が生えてきた。
「うわっ!?」
びっくりして、思わず身を引いた新一に、園子が膨れながら身を起こす。
「ちょっと、新一くん、失礼ね!」
せぇっかくこの園子様が新一くんの悩みを解決してあげようと思ったのにさ!
と、園子の台詞が続く。
新一は、別にいいよ、と思いながらも、気になる自分を騙しきれずに、視線だけで園子を促した。
「蘭が新一くんのために選んだ水着だもんね。や〜っぱ、親友のけなげさを知る私としても、他のヤツになんて見せたくないわけよ!」
「園子っ!別に新一のために選んだんじゃないわよっ。」
慌てる蘭に視線を流し、園子がにんまりと笑みを浮かべた。
「蘭の水着姿が思う存分観賞できて、かつ他の男の目がない!そ〜んなビーチを園子様が紹介しようじゃないの♪」
「って、おまえんとこのプライベートビーチか?」
「あったり〜!」
(オメーがいるじゃねぇかよ。)
・・・・・・と、新一は頭の中で呟いた。
ビーチだけ貸してくれるはずがないのである。
「じゃあ決まりね!」
(オイオイ、いつ何が決まったんだよ・・・。)
蘭が、困った顔で園子を見ている。
それから、ふと何かを思いついたという顔をした。
「園子、京極さんは?」
蘭が尋ねると園子は間髪いれずに、顔の前で手を振った。
「だーめ。毎年恒例の海の家のバイトよ!」
「園子は行かないの?」
「ん。来週ね。でもその前に、蘭の水着姿拝まなくっちゃね〜。ついでに新一くんの、伸びた鼻の下も!」
「も〜っ園子!」
「誰が何だって?」
新一と蘭が詰め寄ると、園子はぴょんっと一歩飛び下がった。
「おーこわこわ♪」
全然怖がって居ない口調でそんなことを言う。
たぶん、3人の中で一番強いのは園子だろう。2対1でも勝てる気がしない。
「ま、心配しなくても夜はふたりにしてあげるわよ♪」
「何言ってるのよ、もう!」
真っ赤になって蘭が怒るのに、園子は楽しそうにカラカラと笑った。
「いいじゃな〜い。悪い話じゃないでしょ?誰にも気兼ねしなくていいんだし!」
「そっそんなの・・・!園子ぉ〜〜〜っ!!」
ぎゃーぎゃーとまた騒ぎ出す二人を見やって、新一はひとり、ビルの間の澱んだ湿気がたっぷりの空気を吸って、深く吐き出した。
最初から、選択権などないのである。
「・・・で?明日から行くのかよ?」
ふたりが落ち着いたところを見計らって・・・と言いたいが、見計らっていたらいつになるかわからないので、話を戻すようにさりげなく遮って尋ねてみる。
この話に決着がつかない限り、この炎天下に立ち続けなければならないのだ。
早く家に帰って、冷房をガンガンに入れた部屋で、布団にでも転がって本が読みたい。
そう考えて、新一は現状に少し疲れを感じながら、園子の答えを待った。
園子は、こういうときは素早い。
「そういうこと!明日8時に蘭の家の前ね。迎えに行くから、新一くんもちゃんと居てよ?」
なんでコイツはいつもこう楽しそうなんだ、と思う。
が、それでも憎めないのだ。
まぁいいか、という気になってしまう。
「・・・ったく。」
呆れた口調で、呆れた目で。
それを返事の代わりにして、新一は歩き出すことにした。
園子も、どこへ行くつもりなのか、方向を転換して、元気に腕を振り上げた。
「じゃあまったね〜、蘭、新一くん!」
ぶんぶんと腕を振る。
「おー。」
それにおざなりに片手を挙げて応えた新一の横に、またねーと手を振った蘭が並んだ。
人込みの中に消えていく背中を見送ってから、新一と蘭はゆっくりと歩き出す。
「アイツ、どっか行くのか?」
尋ねると、蘭がおかしそうに笑った。
「うん、京極さんのところよ。」
「へぇ。」
どこか幼い顔で片眉を上げた新一を、蘭が嬉しそうに見上げた。
「今度旅館に行ったときにね、園子、バイトしてみたいんだって。だから頼んでみるんだって張り切ってたよ。」
新一が蘭を見る。
意外だとも、とても“らしい”とも取れる園子の行動は、視線が合った新一と蘭の間に、ふわりと優しい空気を含ませた。
笑みを交わした視線を、新一はまた前へと戻す。
大通りを外れて路地に入り込むと、木陰が多くなり、少しだけ涼しくなったような気がした。
「ウチ、寄ってくか?」
尋ねると、蘭がじとっと新一を見やる。
「ご飯作って欲しいんだって、素直に言いなさいよ。」
新一は、思わず困った顔をしてしまった。
(別にそういうわけじゃねーんだけどな・・・。)
そう思ったものの、説明できるわけでもない。
早々に諦めて、新一は溜息を吐いた。
「・・・オムライスがいい。」
言うと、蘭が笑う。
呆れています、というその笑顔は、結構優しくて、暖かくて。
新一は、無条件に感じてしまう安らぎに、ひとりこっそりと苦笑した。
「タマゴ、あるの?」
「一個。」
「足りないじゃない。」
「そーか?」
「そーでしょ。」
「・・・そっか。」
蘭が、目の前の角を左に曲がった。
家とは反対。
この先に、スーパーがある。
新一は蘭の隣で、やはり左に曲がりながら、笑みを零す。
「明日も暑いのか?」
「真夏日だって。」
「・・・そればっかだな。」
思ったまま言葉に乗せる脈絡のない会話を交わす。
見上げる空は真っ青だ。
「・・・水着。」
ふと、蘭が口を開いた。
「え?」
きょとんと蘭を見た新一を、蘭が照れくさそうにちらりと見る。
「・・・園子が言ってたこと、ほんとに違うんだから。」
「へ?」
「・・・・・・。」
「・・・・・・・・・へ???」
明日も真夏日。
あさっても、そしてしあさっても、たぶん、真夏日に違いなかった。
〜fin〜
書き下ろし
2002.8.4 文月 優