キッチン同盟
「新一が泣いたところ?」
口元にカップを運ぶ手を止めて、有希子は首を傾げる。
工藤家のリビング。
久しぶりに帰ってきた新一の両親。
新一は、これまた珍しくも優作と二人でどこぞやに出掛けている。
残った有希子と、蘭は、のんびりとお茶会だ。
ふわふわ揺れる陽だまりの中で、有希子が笑う。
これが世界を虜にした女性の魅力かぁ・・・と、ぼんやり考えながらも、蘭は頷いた。
「そうです。見たことありますか?」
親なら、まぁないということはないだろうけれど。
気取らない仕草さえ様になる有希子に、蘭は見惚れていたけれど。
同時に、有希子もまた、蘭の瑞々しい眩しさに目を細める。
「子供の頃を抜かして、よね?・・・ないわ。」
「一度も?」
「・・・ええ。優作なら見たことあるのかしら。」
独り言のように言って、有希子は首を傾げる。
しばしの沈黙の後、緩く首を振った。
「もしかしたらあるのかもしれないけど・・・聞いたことはないわね。」
「そうですか・・・。」
呟いた蘭を見つめて、有希子は、止めたままだった手の動きを再開させ、カップから紅茶を一口口に含む。
「どうして?」
どこか無邪気に尋ねられ、蘭は困って言葉を詰まらせた。
クスリと、有希子から笑みが零れる。
「何か、つらい事件でもあった?」
蘭が顔を上げると、穏やかに微笑んでいる有希子と目が合う。
あまり見せないけれど、有希子の母親としての顔。
その眸は、新一に向ける視線と同じように、蘭にも優しい・・・昔から、ずっと。
蘭は、頬をゆがめるようにして笑みを返す。
「・・・多分。」
「多分?」
聞き返されて、今度はもう少しキチンとした微笑みを返した。
「・・・一緒に居たわけじゃないんです。私は・・・聞いただけで。」
「そうなの?」
問いかけに、頷く。
と、さらに続けて尋ねられた。
「・・・蘭ちゃん、やっぱり新一のこと心配?」
蘭は、有希子を見上げる。
多分、座っている今、視線の高さはほとんど変わらないはずなのに、それでも見上げるということは、自分が俯いているせいだと気づく。
蘭が頷くと、有希子は、そっかぁと笑った。
「・・・泣くことって、人間の自己防衛本能だものね。」
蘭が首を傾げると、有希子はまるでその反応がわかっていたかのように、先を続ける。
「私達女は特にそうかもしれないけど、泣くことで自分の中で昇華しきれない感情を逃がすのね。・・・だから、泣けるうちはいいの。」
考えて、蘭は頷く。
そうだなと思って。
だから、なのだろうか。けして泣かない新一に、時に妙に不安になる。
「泣けなくなったら、人間なんて壊れるしかないって・・・私もよく言われたけど。」
その言葉に、ギクリとして顔を上げる。
蘭に、有希子は、やっぱりどこか無邪気に微笑んだ。
「それも、わからないわよね。・・・泣かずに強くあれる人が居ることも知ってしまうと。」
蘭は、パチパチと瞬いた。
誰のことかと、問おうとして、すぐにわかる。
確かに優作も・・・とてもじゃないが泣きそうにはない。
蘭の口元に微かに覗いた笑みに、気づいたのだろうか。
有希子が、楽しそうに笑い声を上げた。
「新ちゃんもね、だーいじょうぶ!きっとね、たくましいわよ。」
信じられるのも、強さだ。
有希子は、気ままに生きているようで、とても強い女性だから。
ふと、その有希子の眸の色が変わる。
首を傾げる蘭に、有希子は柔らかく苦笑した。
「でもね、どうして泣かないのよって思うこともあるわ。」
「え?」
「・・・悔しくなっちゃうのよね、あんまり泣かないものだから。」
ああ、と、蘭は頷いた。
少し、解る気がする。
悔しいというより、・・・蘭は哀しくなるけれど、でもきっと、同じような感情のことだろうと。
そんな蘭に、有希子は晴れやかに笑った。
「そんなときはね、私が思いっきり泣いてやるのよ。」
「・・・おじ様に?」
目を丸くした蘭に、有希子は楽しそうな笑みで頷いた。
「そう。なんで泣かないのよバカ!って、大声で泣いてやるの。」
「・・・それは・・・」
さぞかしおじ様は心臓に悪いだろう、と、蘭は一瞬同情したのだが。
有希子は、そんな蘭に嬉しそうに微笑んだ。
「そうすると優作、すっごく困った顔するくせに、なんとなくだけど嬉しそうなのよ。」
「・・・嬉しそう、ですか?」
「そう。・・・何に、そんなに安心するのかしらね・・・。」
首を傾げる有希子は、けれどもその答えを知っているように見えた。
蘭は、漠然とならわかるようで・・・やっぱり、いまいちわからない。
そんな蘭に、有希子はクスリと笑って言った。
「蘭ちゃんも、今度試しにやってみたら?」
「えぇ!?」
蘭は目を丸くする。
「だって、見てて泣きたくならない?」
泣かない新一を、見ていて。
有希子が、泣かない優作を見ているときのように。
・・・蘭は、考えて、それから困った顔で小さく頷く。
「でしょう?」
対する有希子は嬉しそうだ。
「そのとき新ちゃんがどうするか、実はとっても興味あるのよねー。ものすごく狼狽しそう!」
「・・・有希子さん・・・。」
先程までの母親の顔が、いきなり吹っ飛んだ言葉に、蘭は思わず呆れた顔をしてしまった。
有希子は、小さく舌を出す。
「だぁってね、まだまだ新ちゃんは大人じゃないもの。あのタイプが狼狽しなくなったら、ほーんとかわいくないんだから!」
とても力の入った言葉に、蘭は笑ってしまう。
「・・・今のうち、ですか?」
尋ねた蘭に、有希子は大きく頷いた。
「もちろんよ!」
空になったカップが、有希子の長い指によってテーブルに戻される。
蘭が動く前に、有希子が席を立った。
「ね、蘭ちゃん、珈琲、もう一杯付き合ってくれる?」
振り向く笑顔は、相変わらず無邪気で、明るい。
とびっきりおいしいの淹れるわよ、と言われて。
蘭は、迷うことなく頷いた。
〜fin〜
2003.12.20 蒼月 夕