Cheer!



 大学生になって、ふたりの時間が増えたのか、減ったのかはわからない。
 新一は今までよりもずっと自由に警察の捜査協力に出かけていく。出席が厳しくない授業は、自分がいかに目立つのかを全く認識せず、蘭をあてにして姿をくらましては教授に呼び出されることを繰り返していた。
 蘭も、体育会空手部に入部したため、ハードな練習に明け暮れている。
 それでも、朝は高校時代と同じように蘭が新一を迎えに行き、ほぼ毎日一緒に登校していたし、部活のない日に蘭が新一の家に食事を作りに行くことも珍しくない。コナンだった頃の名残で、新一が蘭の家に寄り道をして、夕飯を食べて帰ることも増えていた。
 共有する時間は、意識しなくてもそこら辺に転がっている。ただ、一時期会いたくても会えない時間を過ごしたことから、二人がその時間の大切さを忘れることはなかった。
 どちらから提案したのか、二人の記憶は定かではない。
 たまには外で会おうよ。――記憶に残る声は蘭のものだから、蘭からだと新一は思っている。
 忙しくて待ち合せようとするとなかなかタイミングが見つからない。
 だから、その日約束をしたのは、とても久しぶりだった。

「じゃあ駅前公園の噴水の前でね」
 蘭の言葉に新一が頷いた。
「寝坊しないでよ」
「わぁってるよ、10時な」

 その言葉通り、新一は9時には起き、9時半に家を出た。のんびり歩いても、余裕で時間前につける計算だった。
 寝坊より、事件が起こることを懸念したほうがいいのに、と、そんなことを思って、休日の歩道を歩いていく。
 一つ目の信号待ち。寝坊でも事件でもないが、ふと、新一は一人の老婦に目を止めた。
 きょろきょろと辺りを見回しており、杖をついているのだが、足元への意識がおろそかになっているようで、幾度か石畳の隙間に杖を挟んではよろけていた。
 そうなると、気になって仕方がない。新一は、近づいて声をかけた。

「おばあさん、何かお困りですか?」

 そのおばあさんは、驚いたように新一をふり仰いだ。その表情に安堵が覗く。

「道に迷ってしまったんだよ。米花公園の時計の下で待ち合せているんだけれどねぇ」

 ふむ、と新一は考えた。

「僕、わかりますよ。一緒に行きましょうか?」

 道を伝えるのは簡単だが、今のように周囲に気を取られて歩いていては怪我をしてしまいそうだ。
 老婦は一度は遠慮したが、やはり不安だったのだろう。新一がもう一度申し出ると、ありがとうと笑ってくれた。

「では少しだけ待ってくださいね。友達にメールだけしてしまうので」

 メールが何か通じるかわからなかったが、一言断りを入れると、新一は携帯電話を取り出して、蘭にメールを一本送った。
 迷ったおばあちゃんを案内するから30分くらい遅れる、と、それだけのメールだ。
 心配しないように一報さえ入れておけば、蘭が怒ることは絶対にない。
 よし、と携帯電話をたたむと、新一は了解を得て、おばあさんの手荷物を受け取った。



 さて、一方の蘭はというと、こちらもやはり、7時半には起きて小五郎と共に朝食をとり、服に悩み、ちょっぴり勇気を出して薄いお化粧を施した。家を出た時刻は新一と同じ9時半。予想到着時刻も、当人は知らないが新一とほぼ同じだった。
 がしかし、自宅の前の大通りに沿って歩道を歩くこと数分。横断を歩道をわたった老人が、蘭の前を歩き出した。その歩き方が、よた、よた、と危なっかしい。信号で立ち止まると、思わずほっと息を吐く。
 そのときだった。横から横断歩道を渡ってきた自転車が、老人のすぐ横を結構なスピードで走り抜けていった。
 接触はしていない。だが、老人を動揺させるには十分な出来事だった。見ていた蘭の心臓だって縮んだのだから。
 慌てた老人がバランスを崩す。手にしていた杖は間に合わない。とっさに手を伸ばした蘭が、老人を支えた。同時に杖を捕まえる。

「おじいさん、大丈夫ですか?」

 自転車にはむっとしたが、それよりも老人だ。蘭の手にすがって固まっていた老人は、しばらく間をおいて、ようやく深いため息を吐き出した。

「…大丈夫です。ありがとう、お嬢さん」

 小柄で、かなり年齢を重ねた、上品な老人だった。
 とりあえず落ち着きましょう、と少し先にあるベンチへ促す。蘭の提案に頷いた老人は、だがそのすぐそばにある時計を見上げて、いやと首を振った。

「申し訳ないが、約束がありましてな。休んでいると遅れてしまう」

 蘭は時計を見上げて考えた。そのまま手を離すには、何かが心にかかっていたのだ。こういうときに手を離すことは後悔に繋がりかねないと蘭は痛いほど学んでいる。

「失礼ですが、待ち合わせはどちらですか? ご迷惑でなければお送りします」

 手を引き、歩きかけた数歩で気づいたのだが、老人がうまく歩けずにいたのは、どうやら杖に不慣れなためのようだった。蘭が手を引いて歩くと、随分と安定している。
 遠慮する老人に、蘭は失礼にならないよう気を付けて、そのことを正直に話した。すると、老人は驚いたように眉を上げ、穏やかに苦笑する。

「その通りです、鋭いですね」

 新一に通じるような褒め言葉をもらって、蘭はくすぐったそうに笑う。その笑顔に目を細めた老人が、それではお嬢さんがもし構わないのでしたら、と蘭の申し出を受け取ってくれた。
 よかった、と、蘭は微笑み、少しだけ待ってもらって、一本メールを送る。
 おじいさんを送るので、30分くらい遅れます、と。
 そのまま、携帯電話をバッグにしまうと、蘭は老人の手を取って歩き出した。
 教えてもらった待ち合わせ場所は、米花公園の時計の下。

「久しぶりにね、連れと外出しようということになってね」

 お互いに朝用事があったため、外で待ち合せしたのだという。

「待ち合わせなんて何年ぶりだろうね。…ずうっと若いころに戻ったみたいで、少しドキドキしているんですよ」

 おばあさんには内緒ですがね、と笑う老人に、蘭は温まる心のまま、ふんわりと笑った。

「素敵ですね」
「お嬢さんも待ち合わせでしょう? 時間は大丈夫ですか?」
「大丈夫です」

 にこりと笑う。きっと新一は駅ビルの本屋の推理小説の周りをうろついているだろう。
 こぼれた笑みが幸せそうだったので、老人は「よかった」と穏やかに微笑んだ。






 15分後、老人と老婦は無事に待ち合せの米花公園の時計へ到着する。
 目を丸くした新一と蘭を見て、二人はとびきりの幸せを見つけたみたいに微笑みを交わした。




〜fin〜





(2013.10.27 新蘭プチオンリー『新蘭LOVERS』の企画へ寄稿)
2013.11.26 文月 優