A Rainy Day



瓦礫が、また、遠くで音を立てて崩れた。
ロイは、音につられて振り返る。
少し前、毎日のように目にしていた景色の、その一角だけを切り取って、住み慣れた街の中に埋め込んだようだった。
久しぶりに、大きな焔を使った気がした。
あの頃に比べれば、赤ん坊のような焔だけれど。
いつからか降り始めた雨が、瓦礫の奥でくすぶっていた焔を鎮火し、くすんだ煙を立ち上らせていた。
黒く、細い、幾筋かの煙。
まだ陽は出ているはずの時刻なのに、薄暗く灰色の雲の垂れ込めた空へと消えていく。
テロ事件が1件、片付いたばかりの現場だった。
過激派が篭城した、閉鎖されて久しい工場跡地。
至るところで作業をしている青い軍服は、雨に濡れ、色を濃くして、灰色の景色の中では、ほとんど黒に見えた。



ハボックが報告のためにロイに駆け寄ったとき、ロイは珍しく反応を示さなかった。
何を見ているのかと思う。
ロイの向こう側に広がっている景色に、ハボックは目を細めた。
視力には自信があるが、これだけ雨が降っていると、視界がけぶってよく見えない。
ロイと、その景色を幾度か見比べて、ハボックは諦めた。
ロイの視線が、何かを明確に捕らえているようには見えなかったせいもある。
先程まで、テロ鎮圧の陣頭指揮に当たっていたロイは、当然コートなど羽織っていない。
雨に晒され、無防備に濡れている肩を見て、ハボックは苦笑した。
その肩章は、普通こんな場所で、雨に晒されるものではない。
止めても聞かないので、何も言わないが。
いつまでもこうしているわけにもいかず、ハボックは口を開いた。
「大佐。」
短く呼ぶと、ロイは肩を揺らすわけでもなく、ごく普通に振り向いた。
「なんだ。」
「負傷者、俺の隊に3名、ブレダのとこが2名、いずれも軽傷です。」
「そうか。人数は足りてるだろう? 司令部に戻してやれ。」
微かに笑った口元に、ハボックもつられて表情を緩める。
「はい。と、それとA工場の方は、鎮火されてます。危険物も少ないので、3日もあれば片づきますが、B工場はちょっと掛かりそうです。」
ロイの視線が、再び工場の方へと向かう。
工場といっても、既に跡形もないが。
「…まぁ、仕方ないな。覚悟の上で破壊したわけだし。」
「派手にやりましたね。」
「ま、中が爆薬だったからな。」
引火したのは、ロイだ。だが今日は、土砂降りとは言わないまでも、本格的な雨が降っている。
「報告書、どうします。」
尋ねたハボックに、ロイは微かに笑った。
「中尉に任せる。」
「そうっすか。」
ということは、きっと他の手段で引火したことになるのだろう。
「ブレダの隊を、一旦集めて司令部に戻せ。休養を取って、あとでおまえの隊と交代しろ。おまえはここの指揮だ。ただし、朝イチで報告書が出せるように戻って来いよ。」
「うへぇ、朝イチっすか。」
「あたりまえだ。余計な激励をもらいたくなかったらな。」
眉を顰めたロイに、ハボックは苦笑する。
「人気者っすからね、大佐。」
「まったくだ。」
答えたロイの言葉の後ろに、ふと、沈黙が落ちた。
崩れた工場跡に、ロイの意識が揺れているように思えて、ハボックは首を傾げた。
こういった現場に何かあるとも思えない。こんなこと、イーストシティでは日常茶飯事なのだ。
ロイの視線が、さりげなく空へと向けられたのを見て、ハボックは、ああ、と口を開いた。
「…雨、苦手なんすか?」
茫洋と尋ねたハボックに、ロイは一瞬だけ視線を向けると、苦笑気味の表情で首を振った。
「いや、そんなことはないぞ。」
動揺するわけでもなく、ロイはさらりと返事を返した。
無能だと言われても、それは事実ではない。だから、苦手とは違う。
そう思いながら、ハボックに違和感を与えたらしい自分に、ロイは微かに笑った。
苦手ではない。
ただ、あまり――好きではない…かもしれない。
嫌いとも違う。雨を見つめていると落ち着くことだってあるのだ。雨の音を、じっと、ずっと、聴いていたくなることもある。
けれども、たくさんの雨の日の中の、幾日か。
いろんな感情が交錯して引きずり込まれそうになることがあるのも事実だ。
雨の日、それは、ロイが味方のために何もしなかった日だ。
……できるのに、しなかった。
そして、そのときだけ、イシュヴァールの人々を殺さなかった。
リザとヒューズが、ほんの少し、ほっとした顔を見せた。
雨はロイにとって、僅かな許しの日であり、最大の罪の日。


それ以上は何も言わずに司令部へと戻っていったロイの背中を見送り、ハボックは、ふぅん、と、呟いた。そして、すぐ後ろに来ていた、もう一人の上官を振り返る。
「…苦手じゃない、らしいんすけど。」
リザは、きょとんとハボックを見上げた。
ハボックは、無数の雫が落ちてくる空を指差す。と、リザはすぐに何の話かわかったようで、ああ、と頷いた。
「…そうね、苦手ではないはずよ。」
「はず?」
「…はず。ただ…」
リザは、空を見上げて目を閉じる。瞼に当たる雫が、頬を滑り落ちていく。
目を閉じれば、簡単にあの時間に戻ってしまいそうな気がする。
「ただ?」
尋ねられ、リザは目を開けた。
「…ただ、――好きではない…かもしれない…わね。」
答えると、ハボックは、やはりいつもどおりの表情で、
「ふぅん、そうなんすか。」
と、のんびり頷いた。
リザは、そんな彼の飄々としたところは、とてもいいと思う。
たぶん、ロイもそうなのだ。だから、雨の日のロイも、不思議とハボックといるときは口数が減らない。いや、たぶん、今の司令室に勤務している直属の部下達の前では、変わらない。
…リザだけならば、ロイは記憶に引きずられてしまうような気がする。
「中尉。」
はっと視線を戻すと、ハボックが少しだけ心配そうにリザを見ていた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ごめんなさい。」
頷くと、ハボックは小さく笑った。
「中尉も、雨、あまり好きじゃないでしょ。」
言われて、リザはやや面食らった。
「私?」
――考えたこともない。
リザは首を傾げた。
雨の日、リザの頭の中は、いつも以上にロイのことばかりになる。
ロイは、雨の日が一番つらそうな顔をするから。
だけど、リザは、そしてヒューズは、この日だけはロイを戦地に出さずに済むと安堵するのだ。
「…よく、わからないわね。」
これは、嫌いというのだろうか。
リザ自身は、特に何かがあるわけではない。あくまで、ロイから僅かだけれども零れ出てくる感情が、哀しいだけで。
だから、リザは少し考えて、ハボックを見上げた。
「…でもそうね。晴れている方が好きよ。」
言うと、ハボックはクスリと明るく笑った。
「オレもです。」
頷いて、ハボックはロイが去っていった方を見つめる。
とっくに見えはしないけれど。
「――きっと、大佐もそうですね。」
そう言ったハボックに、リザは笑って頷いた。
「そうね。そう思うわ。」
「早く帰りましょうか。」
ここの指示を済ませて、確認を終えて。
「ええ。こういう日は大佐、絶対サボっているものね。」
「そーそー。頼んますよ、中尉。あの人がちゃんと仕事してくれないと、オレ達明日も家に帰れないっす。」
今日はもう諦めたという口ぶりに、クスリとリザは笑った。
「…そうねぇ。」
落ちてくる雨は、止む気配を見せない。
恐らく、夜通し降り続くだろう。
こういう日、ロイはなかなか真面目に仕事をしないけれど、いつものように逃亡もしない。
ぐだぐだと部下に絡んで、ハボックやブレダ、フュリーたちをからかって遊ぶのだ。
たぶん無意識だろうけれど、皆でわいわいと騒いでいる空間にいたいのだろう。
ハボックたちを早く帰してしまうと、また彼は、雨の降る音に聞き入ってしまう。
その姿を見ると、リザはどうしても、彼を一人で放っておけなくなってしまうのだ。
「…早く、帰りたいわね。」
…温かい家に…?
でも、と、リザは思う。
いつのまにか、そんな家がないことは、寂しさでも何でもなくなっている。
リザ自身はもともとあまり感じないけれど。
ロイが感じていたのかどうかも、よくわからないけれど。
ただ、一人で住む、少し大きな家に消えていく後姿に、あまり胸が痛まなくなった。
それはリザに、帰る場所が思い浮かぶようになったからだ。
そして恐らくは、ロイにとってもそうだと思えるようになったから。
…ハボックやブレダ達にも、きっと。
リザがハボックを見上げると、ハボックは、わかっているとでも言いたげに、苦笑した。
「きっと、テロの片付けやら何やらで、徹夜でしょうけどね。」
「…そうね。」
「皆でやっつければ、すぐですよ。」
「そうね。」
「…でも中尉。中尉はちゃんと、大佐叱ってくださいよ?」
夜明けには終わるはずの仕事が、明日の夕方までかかっちゃ堪りません、と、そう言うハボックに、リザはクスクスと笑った。
「任せておいて。」
「頼もしいっす。」
じゃあ、オレはあとで戻りますんで、と告げて、ハボックは現場へと駆けて行く。
すっかり色を変えた軍服のまま、適当に髪についた雫を払っているハボックを見送ると、リザは自分も司令部に帰るべく、きびすを返した。
帰ったら、最初に温かい紅茶を入れよう。
ハボックにはああ言ったけれど、きっとロイは、着替えてもいない濡れっぱなしの姿で椅子に座って、ひとりで仕事をしているだろうから。
平時ならば、先程言った通りにサボりまくるだろうけれど、事件があったときや、皆が本当に忙しいときは、文句を言っても誰よりも仕事をしている人だから。
シャワーへと追いやって、着替えさせなくてはいけない。
「今倒れられたら困るもの。」
リザは、歌うように呟いて、足を速めた。
仕事は山積みだから、容赦する気はない。
でも、その前に。
冷え切っているだろう彼に、まずはささやかなぬくもりを――。




〜fin〜



2007.2.28 文月 優

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