相棒
第一学年というのは、とかく初々しい。
特にまだ前期も半ばという6月では、見るもの聞くもの、そしてやることなすこと初めてづくしなので当然ではあるが、それ以上に彼らは何事にも威勢がよく、突撃と玉砕を繰り返す。
そしてようやく己のスタンスを見つけ出す頃、簡単に玉砕できないイベントが訪れる。前期中間考査だ。
一年坊主を微笑ましく眺めていた上級生も、そして一部の初々しさからは程遠い一年生も、一様に頬を引き締め始める6月の終わり。
――明けて、7月。夏季の長期休暇を間近に控え、浮かれる学生を引き止めるかのように行われる行事。それが、夏季射撃大会だった。
全校生徒が参加するわけではない。有志、または推薦を得たものによって競われるものだが、それらに学年の別はなく、成績は全学年共通のフィールドで争われる。
第一学年生にとっては初めての射撃大会である。まだまだ思うように銃器を操ることができない一年坊主を野放しに参加させるわけもなく、第一学年生に限っては、教官から推薦を得た者のみの参加となる。
ほとんどの候補生が、銃器の扱い暦数ヶ月という中で、当然といえば当然かもしれない。試験が明けるなり教官に呼び出されたリザは、早々に出場を決められていた。
リザは複雑だった。
隠れたいわけではないが、目立ちたいわけでもない。
だが、家庭環境、そして女性だからということもあって、何よりも真剣に深く取り組んできたのが銃器なのである。うぬぼれるわけではないが、実践ならともかく、競技で負けるとは思っていない。恐らく、第四学年の人が士官学校で初めて銃を構えたときよりもずっと前から、リザは銃を扱う技術を磨き続けているのだから。
ただでさえ、第一学年生の出場者は注目される。士官候補生としてのスタートラインにおいて、他よりも一歩抜きん出ていると教官に太鼓判を押された者達だからだ。それも考えると、目立たずに大会を終えることは、とても難しい気がした。
無意識に毀れた溜息に気づき、リザは、いけない、と軽く頭を振った。短く切りそろえられた髪が、パサパサと音を立てる。
リザは射撃訓練場の入り口で手続きを取り、ズラリと並べられた銃器の中から、中距離用の長銃を選んだ。
奥からは、訓練中の銃声が建物内に反響して聞こえてくる。
通常は、特定の人間が特定の銃を使うことなく、射撃場に踏み込むたびにランダムに銃を与えられるのだが、射撃大会出場者には、大会前1週間に限り、特定の銃を利用することが許可されていた。
慎重に選んで候補とした数個の銃を、試し撃ちのコーナーを借りて撃ち込み、ひとつに絞る。
再度受け付けで1週間借り受ける手続きを済ませて、リザは訓練用のコーナーに入った。
実際に候補生が射撃を行っている場所まで進むと、音は暴力的な振動を伴って胃の奥まで響いてくる。
一通り銃を点検し、実弾を籠めて的を起こすと、どんな雑念も消えていくような気がした。
耳に防具をつけて構える。
立て続けに撃ち込んでから、銃をおろし、一度耳の防具を外して、ひとつ息を吐いた。
そこに、見計らったように声を掛けられた。
「よぉ。」
振り向いたリザの前で、くしゃりと微笑むヒューズが手を上げる。
リザは、すっかり習慣になった敬礼を向けようとして、ヒューズに制された。
ヒューズは、リザが士官学校に入学してきたと知って以来、見かける度に声を掛けてくる。用はないことの方が多く、挨拶だけのこともあれば、他愛のない話題を振ってくることもある。最初は戸惑っていたリザも、友人と居るとき等状況に応じて、けしてリザを困らせるようなことをしないヒューズには感心してしまうほどで、今ではすっかり慣らされていた。ロイに言わせると、それがヒューズの得意技、らしい。
「今の時期に撃ち込んでるってことは、リザちゃんも大会出場者か?」
今日もヒューズは、ひょこりとリザのブースに入ってくる。
リザちゃんと呼ばれて、リザは今でも少し当惑するけれど、ヒューズは最初から違和感など持っていないようで、リザは未だに、すみませんがファミリーネームでとは言えずにいる。
仮にも士官学校で、上下関係など気にしたふうもなく問いかけられて、リザは苦笑を返し、頷いた。ヒューズはけして甘い人ではない。だからこそ、自分でも融通が利かない自覚のあるリザにとっても、無駄な堅苦しさを省く接し方が心地良く思えるのだろう。
ロイとはまた違うが、ヒューズもやはり、リザには免疫がないタイプだった。ロイとヒューズが親しいということは、士官学校中の者が知っているが、なるほどと頷ける。互いの相手は互いにしかできないであろう程、二人とも癖が強い。
そんなことを思いながらも、リザはそれを微塵も感じさせない眼差しでヒューズを見返した。
「ヒューズ先輩もですか?」
手に、ヒューズは短距離用の銃を持っている。
今の時期に、と、ヒューズも言ったが、大会出場者でもない限り、試験明けのこんな休日には、大抵外に遊びに出ているものだから。
問い返したリザに、ヒューズは、おうよ、と軽く頷いた。
「そ。めんどくせーんだけどな、まぁもう年間行事みたいなもんだな。」
射撃大会は正しく士官学校の年間行事であるにも関わらず、そんなことを言うヒューズに、リザは微かに笑う。確かに、毎年大会とは無縁に過ごしている人たちも大勢居る。
「毎回ですか。」
「これでも飛び道具は得意だからな。全種目出るから、リザちゃんとも当たるぜ。」
リザは、少し驚いて眉を上げた。
「長距離も、ですか?」
正直な反応に、ヒューズは苦笑した。
「そ。ご覧の通り、視力はいまいちだから、長距離は他ほど得意じゃないんだけどな。…まぁ、士官学校の競技レベルなら、なんとかなるさ。」
「……そう、なんですか。」
「そう。実戦じゃとても無理だろうなぁ。」
「……」
そうか、と、リザは内心だけで思う。
リザは戦場を知らない。初めて実戦研修に出ることが可能になるのは、第三学年の夏からだから、現在第三学年にあるヒューズも、夏前である現時点では恐らく知らないのだろうけれど、少なくともリザよりは、戦場を身近に感じることが多いだろう。競技と実戦は違う。理解しているつもりのことでも、人の言葉は重く響く。実際に戦場に出た人に言われることがあれば、きっとなおさらだろう。
「リザちゃんは、どれに出るんだ?」
問われて、リザは慌てて頷く。
「あ、はい。私も全部。」
「へ? 全部?」
ヒューズは、目をまん丸にしてリザを見つめた。
リザは、少し気まずげに、それでも目を逸らすことなく告げる。
「…教官に、出るようにと。」
付け加えたリザに、ヒューズは、へぇ…と感心したように唸り、
「そりゃすげぇわ。」
と、呟いた。
何が凄いのかと首を傾げたリザに気づき、ヒューズは微かに苦笑する。
「普通、一年ってのは一人が全種目に出場することってないんだよ。そんだけ特出してできる人間ってのも居ないし、そもそも経験を積むべきだとか、差ができていない時期にこそ多くの候補生に機会をとかってな。ばらばらと出場してくるのが常なんだ。」
だから驚いた、と。
それから、実はさ、と、ヒューズは続けた。
「リザちゃんの腕前って、結構噂になってんだぜ?」
「は? …どこで、ですか?」
初耳だ。しかも全然嬉しくない。
眉を寄せて尋ねたリザに、ヒューズは小さく笑った。
「1年の射撃の授業を持ってる教官が、うちの学年の授業も受け持ってんだよ。だから、3年の間で、だな。」
「……」
唸りそうな顔をしているリザに、ヒューズは肩を揺らして笑うと付け加えた。
「実際、噂を聞いてるヤツらは半信半疑だけどな。1年の、しかも女子がって。俺はロイに、あのパーティーんときの話を聞いてたから、疑う余地もなかったけど。……そんでも、全種目となると、噂のほうが実物に負けてるかなぁ、これは。」
最後の一言は、独り言のような響きだった。ぽん、と、ヒューズがリザの肩を叩いた。
「ま、よろしくな。」
「あ、…はい。」
リザは、頷きつつも、溜息を堪えられなかった。
これでは、名前を覚えられずに終わるなど絶望的だろう。眩暈がする。
深い溜息を吐き出したリザに、ヒューズが不思議そうに問いかけた。
「どうかしたのか?」
「いえ…。」
咄嗟に否定したものの、ヒューズの眼差しは言葉ほど軽くない。そういえば、いつだかロイがぼやいていたと、リザは思い出す。アイツの妙な勘の良さをなんとかしてほしい、と。内容はくだらない話だった気がするので覚えていないが。
ヒューズ自身、別にリザに口を割らせようというわけではないのだろうけれど、心配を含んだ眼差しに気づかない振りをすることもできなくて、リザはもう一度息を吐いた。どうせヒューズは事情を知っている。
「…あまり、噂にはなりたくないな、と…。」
低い声で続けると、ヒューズは、幾度かパチパチと瞬いてから、ああ! と手を打った。
「…そっか。そういや、バレてないんだな。」
潜めた声。周囲を窺うような仕草はけしてしない。
頷いたリザに、ヒューズは、へぇ…と、しみじみと唸った。
「珍しいな。大抵は入学前にどこぞの2世が来るとかいう噂が流れてよ、入学後は時間の問題で個人まで特定されるもんなんだけど。噂もなかったもんな。」
「はぁ…。正直、助かってます。」
力の抜けた口調で呟いたリザに、クスリとヒューズが笑う。
「うん。リザちゃんならそうかもな。暴かれるのを心待ちにしてるやつも多いけど。」
「そうなんですか?」
「都合がいいからな、その方が。」
サクリと言ったヒューズに、リザは首を傾げた。そういう人が多いことは確かにわかるけれど。
「…風聞は飾れても、実力は飾れないでしょう?」
言ったリザに、ひゅぅ、とヒューズが短く口笛を吹いた。あちらこちらから響き続ける銃声の反響に、一瞬で掻き消える程度の音だ。
あまりそういった仕草を好きではないリザが、無意識ながら眉をしかめても、ヒューズは気にせず、面白そうな笑みで応える。
「言うねぇ。」
からかうような口調は、居心地が悪い。リザは視線をずらして、言い訳のように続ける。
「…怖いじゃありませんか、飾られた自分しか知らずに戦場へ出るのは。」
すると、今度はヒューズが目を丸くして、それから苦笑と共に、ひょいと肩を竦めた。
「そういうヤツらはさ、戦場に出るなんて、これっぽっちも思ってないんだよ。――実際、出ないんだろうさ。」
「…そう、ですか…。」
そんなふうにして、何が手に入るのだろう。リザはそう思うけれど、きっとそういう人達が望むものと、リザが望むものは違うのだろう。地位と、権力と、お金と…そんなもの。
ひとつ溜息を落としたリザに、ヒューズはくしゃりと笑って続けた。
「今、こうして仕官学校で銃を構えているヤツらにだってさ、確かな未来に、その銃で人を殺すんだって自覚してる人間って、結構少ないんじゃねぇかな。」
リザは、ヒューズを見て、ひとつ頷いた。視線を外し、先程まで真剣に銃口を合わせていた的を見つめる。人の形の的を。何に見立てて己が引き金を引いていたのか。
「…俺だって、正直、まだ実感わかねぇよ。」
リザは、呟くように言ったヒューズを振り返る。
困ったような眼差しは珍しくて、じっと見返していると、ヒューズは照れたように指先で頬を掻いた。
「なんか士気を削いじまったかな。」
「いえ…。」
リザは、軽く首を振る。リザは、ヒューズから視線を逸らすと、手にしていた銃に弾薬を詰め替える。先程よりも真剣になって、初めて、先程がまだ真剣には足りなかったことを知るのだと思った。
「……なぁ、余計なお世話かもしんねぇけどさ…。」
背後から、らしくない迷うような口調で、ヒューズが声を発する。視線を向けると、ヒューズはまっすぐに射撃の的を見ていた。
「…ヒューズ先輩?」
呼ぶと、一瞬だけ視線をリザに投げて、小さく笑う。微かなデジャヴ。すぐに気づく。そんな笑い方は、少しだけロイに似ている。
見つめるリザの静かな視線の先で、ヒューズは困ったような顔をしていた。
「…気のせいかもしんねーし、実際俺は何もわかんねぇんだけどさ。ロイとか、リザちゃんを見てると思う。」
「……?」
ピタリと向けられた視線は、リザの奥深くまで差し込むような鋭さだった。
「…目的がはっきりしてて、そこまでの道筋が見えてるってのはいいことだと思うけどよ、それでも……もう少し、自分を遊ばせてやればいいのにってな。」
「……遊ばせる、ですか…?」
リザは、言われている意味がわからずに問い返した。だが、問われたヒューズも、俺もよくわからない、と苦笑しただけだった。いつのまにか重くなった空気を振り払うようにして、小さく笑う。
「ま、いいや。悪かったな、訓練の邪魔して。」
「いえ、それは全然。」
「俺も少し撃っていくかな。短銃だけじゃなくて、他も早く銃を決めておかねぇと、後大変だしな。」
悪戯っぽく笑ってみせるヒューズに、リザがつられたようにクスリと笑うと、ヒューズは特別なものでも見たように、どこか嬉しそうに頷いた。
「じゃあな、リザちゃん。たまにはロイに構ってやってくれよ。」
リザは、会釈しかけていた動きを凍らせて、眉を寄せた。
一言多い。…これも、ロイのヒューズに対する評価だっただろうか。
むっすりと黙ったリザに、ヒューズは声を上げて笑う。何がそんなにおかしいのだと、リザに睨まれてもどこ吹く風で、ひらひらと片手を振って去っていく。
いつもながら打っても打ってもへこたれることを知らないような人だと、リザは溜息をついた。
そういえば、また『リザちゃん』という呼び名を訂正しそびれた。
ロイはロイで、ヒューズはリザちゃんと呼ぶじゃないかと言い、ヒューズはといえば、ロイのヤツずりぃよなぁ、自分だけ名前呼び捨ててさ、などと言う。毎回毎回だ。しかも二人が共に居るときであれば、纏めてお断りもできるのに、別々に言い出すから手に負えない。二人して示し合わせてでもいるのではないかと思ってしまうリザである。
恨めしく視線を送れば、ヒューズはかなり向こうで、また別の誰かを捕まえて話し始めている。
これでは、いつになったら手にしている銃が活用されるのやら。
呆れつつも苦笑が毀れてしまって、リザは諦め7割で、「仕方がないわね…」と呟いた。
ゆるく首を降って、リザは体の緊張をほぐすと、再び耳に防音器具をつけて、的に向かう。
銃を構えると、リザは、瞬時に雑音の消えた、己の世界へと入っていった。
〜fin〜